• お茶とともに生きてみる。[hitofuki]森繁麗花さん <前編>お茶を淹れるふつうの時間の意味

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    とある“茶人”に会うために、熊本県の阿蘇山を越えて、小国(おぐに)という小さな町へと辿り着いた。「北里柴三郎記念館」が近くにあるらしいことが地図からうかがえたが、周辺にピンとくる名前は他に見当たらなかった。車を走らせて山道を抜けた先には、家と畑が点在する集落が開けていた。

    ここに滞在していたのが、その茶人・森繁麗花さんだ。

    1997年生まれの森繁さんは、[hitofuki]という屋号で各地でお茶を淹れる活動をしている。彼女の活動については、都内のお茶屋さんの話、あるいはインスタグラムを通じて見聞きしていた。以前に一度、東京でお茶を淹れていただく機会が得られたが、今回は彼女の拠点である九州でゆっくりとお話をうかがくことができた。

    森繁さんは福岡県北九州市の出身。熊本・小国には縁あって辿り着き、次なる挑戦を前に身と心を休めるために滞在していたところだという。

    「北九州もここと同じくらいの田舎です。ここを平らにしたような感じです」と撮影に若干緊張しながらも、ここ数ヶ月の滞在ですっかり“我が家”のようになっている一軒家へと案内してくれた。家の裏には、草木が茂る自然の庭がある。そこには偶然、茶の木が数本生えていて、ちょうど新芽を伸ばしていた。この日我々を迎えて淹れる一杯目はこれにしようと決めていたという。

    まず一杯。摘んだ茶葉をそのままガラスの急須で淹れる。「フレッシュなそのままを、お白湯のようにいただけたら」。でも、思ったよりもしっかりとお茶の味が出ている。「今しか味わえない、やさしい味ですよね」

    [hitofuki]のインスタグラムには、静謐なイメージの写真と言葉が並ぶ。活動形態もお茶屋ではなく、“お茶の人”としてさまざまな場所でお茶を淹れ、その時間を届けている。そして、まだ25歳という年齢だ。山奥の村に住まい、家の裏の木から摘んだお茶を淹れる。なかなか出会えるタイプではない。

    「『お茶が仕事』という感覚はないといいますか……一人ひとりとの時間は二度とないものだと思っているので、そのご縁に対して、今の私ができる最大限のおもてなし、寄り添うことができたらと思っています。一方で、変わりゆく自分に合わせつつ、お茶との生き方のバランスをとっていきたいと考えているところです。私が生きるそばにお茶がいてくれる感じですので。そういう意味では、『私は茶人です』というよりも、生き方そのものを一例として、共感してもらえる方がもしいたらそれでいいのかなと。ありのままの『素』が、今の私かなと思って、今日このお茶を選びました」

    「素」という言葉につられて尋ねると、意外にも、「素の自分はよく見せる方」だと言うう。「隠しきれないんだと思います」と笑う森繁さんの来歴を尋ねた。

    「実家は北九州で、八女の[星野製茶園]のお茶を愛飲している家庭でした。両親はそれぞれ自分で仕事をしていて、あと妹がいます。いつかみんなで一緒にお仕事ができたらいいねって話しています」

    地元の高校を卒業してからは、大分県別府市の立命館アジア太平洋大学に進学した。個性豊かな学友に囲まれて過ごしたことが森繁さんの生き方を大きく変えたのだそう。

    「学生の半分くらいが80カ国くらいから来る留学生で、カラフルな大学。生き方が自由で、大学以外の活動で自分のアイデンティティを見出している人が多かったです。学部の授業でもいろいろなことが勉強できるのですが、私はどれもピンとこなくて。他の人は、写真とかダンスとか頑張ったり、地域の人たちを巻き込んでイベントをやったりと、色々なことをやっている人が多いからこそ、自分は定まっていないことをすごく意識させられました。休学することもわりとふつうで、私も休学して別府で色々挑戦したのですが、やりたいことは見つからなかった。それでいつものように、『どうしよう……』と思いながらお茶を淹れていたんです。そうしたら、ふと『あ、これか』って思って」

    2種類目のお茶は佐賀で営む[太田市郎治製茶園]の在来品種の釜炒り茶。「野生味たっぷり。お茶はどれも農家さんが楽しく愛情をかけてつくったものを淹れさせていただいています」

    「『あ、お茶かも』って思ってから、農家さんとつながれるWWOOFというサービスを通じて、静岡・藤枝でお茶などを有機栽培する[ちぃっとらっつ農舎 & ポラーノ農園]さんと出会いました。藤枝を目指して、京都などを経由して、ほぼ無計画に1ヶ月くらいバックパッカーみたいなことをして。農家さんと出会う中で、人として生き方をすごく考えさせられました。子供たちがおもちゃではなくて、稲穂を取り合って遊んでいたり。生きる場所が違うと、こんなに違うのかと」

    「野生味、力強さがあり、繊細な味わいで爽快感もあり。少しずつ、できる範囲でつくらる彼らからの恵みは、一口ひとくちを噛み締めたくなります」と[ちぃっとらっつ農舎 & ポラーノ農園]のお茶の魅力を語ってくれた

    そんな旅から別府に戻ると、アルバイト先のつながりから「お茶が好きなら喫茶をやってみませんか?」とオファーをくれたところがあった。歯車が噛み合ってきた瞬間といえるのかもしれない。

    「学生ならではなのかもしれないですが、『なんで生きているんだろう?』ということがわからなくなっていました。働かなきゃいけない年齢だから働く、というのは理解できないからできないっていうのが素直にあったんですよね。そこに向き合いながら悩んでいたのですが、自分にとってはお茶を淹れるという“ふつうの時間”を届けた相手がすごく喜んでくれたんです。それで、自分も生きる上で気持ちが楽になりました」

    3種類目も同じく[太田市郎治製茶園]の太田さんが無農薬で育てた「蒼風」の釜炒り茶。喫茶の際にはよく自分の好きな本を置いておくのだそう。語りすぎることはせず、その人の琴線に響く“ご縁”に任せながら

    それからおよそ6年、森繁さんはお茶を淹れることで相手と自分自身の暮らしの中で「ちょっとした休憩」や「立ち止まること」、「愛でること」を届けてきた。

    「お茶を淹れるほどに、そういうことができるのだということに気付かされます。皆さん、生きてきた道のりが違うので、お茶を飲んだときに抱く感情や浮かぶ言葉が違う。そんな中で、次はどんな出会いがあって、どんな感情が生まれるんだろうという思いが、自分にとっては次へのエネルギーになるばっかりで。ネガティブになることは一切ないんです。私のお茶を飲んでいてよく涙を流される方もいるのですが、それも悲しい涙ではなくて浄化の涙というか。私もお茶の時間をお客さんに届けることで生かされている、と感じるんです」

    お茶を淹れてもらいながら、会話を重ねると、ようやく森繁さんの人となりが見えてきた気がする。しかし、茶人やお茶屋といった一言で説明するのは逆に難しくなったようにも感じる。本質はシンプルだけど、それだけに、あらゆるものごとに繋がっていくような印象は取材前よりも強まった。

    「お水と葉っぱを合わせているだけですから」

    そんな言葉をさらりと言いのけながら、飲ませたいお茶はまだあるのだそう。小国で森繁さんのお気に入りになった場所まで少し移動して、お茶の時間をつづけることにした。お茶の世界で森繁さんはこれからどこに向かうのか、聞かずには帰れないと思っていた。

    森繁麗花|Reika Morishige
    1997年生まれ、福岡県北九州市出身。大分県の大学在学中に喫茶を始め、以来、予約制茶会・喫茶を基本とした[hitofuki]として活動。その時々の環境や相手によって一期一会のお茶を淹れる。今年秋を目標に初の自店舗オープンを計画中。
    instagram.com/_hitofuki_

    Photo by Atsutomo Hino
    Text by Yoshiki Tatezaki

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