• あらゆることを繋ぐお茶の力を信じて
    三重[而今禾 Jikonka]米田恭子さん<前編>

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    [而今禾(Jikonka)]は、米田恭子さんと夫の西川弘修さんが1998年、三重県の関町せきちょうにオープンした、衣食住にまつわる品々を販売するギャラリー。2010年には[Jikonka Tokyo](世田谷区奥沢)、2012年には[Jikonka TAIPEI]をそれぞれオープンしており、器や衣服のセレクト・販売にとどまらず、それら道具を通じてより豊かな暮らしの形を提案している。

    そんな米田さんがここ数年、特に力を注いでいるのがお茶づくりだという。

    今回は、[Jikonka]が手がける“日本でここにしかない”お茶のシーンを体感させていただくべく、三重を訪ねた。

    西暦670年からの歴史が息づく町・関

    鈴鹿川を左手に、国道25号線を車で走る。JR関西本線の関駅前の交差点を北に入り坂道を上っていくと、徐々にタイムスリップしたかのような感覚に陥る。

    周囲には、写真のような、歴史的な建物が軒を連ねている。亀山市関町は、かつては「関宿せきじゅく」と呼ばれる宿場町として栄えた場所だ。歌川広重の浮世絵でもお馴染みの東海道五十三次は、江戸・日本橋から京都・三条大橋を繋いだ旧東海道に整備された53ヶ所の宿場のこと。ここ関宿は、京都の手前47番目の宿場で、古くから交通の要衝だった。

    「関」という地名の由来は西暦670年頃に設置された「鈴鹿の関」まで遡ることができるそうで、とにかく日本の歴史が色濃く残る土地である。現代の地理感覚とは少し異なるが、この一帯に設置されていた関(鈴鹿の関を含め3ヶ所あった軍事的要衝)の西と東とに分けたのが「関西」「関東」の元祖といえる。

    その関町の真ん中に、ギャラリー[Jikonka SEKI]はある。江戸後期の建物を改築した、趣のある店内(お店というより生活空間に近い雰囲気ではある)には、国内の有名作家たちの作品があちこちに並んでいる。

    「私も元々は陶芸をやっていたのですが、私が企画をして、陶芸、木工、染色などのものつくりをする県内外の友人たちのグループ展を企画するうちに、それが徐々に[Jikonka]というお店の形になっていったという感じ。企画側に回ってみると、自分で作る時間がなくなってくるというのもありましたが、どうせだったら器のことをちゃんと説明できる役割になろうと思って、お店を始めました。器と食は切り離せませんので、飲食のスペースも作って食事の提供も一時はしていました」

    [工房而今禾(KOBO Jikonka)]の中庭。藍染された服が陽の光に輝きながら干されていた。「今このとき」という意味の「而今」、「禾」は穀物=「なくてはならない命の糧」という意味で、「今この時をどう生きるか」という思いが屋号には込められている

    [Jikonka SEKI]から徒歩2分のところには、[工房而今禾(KOBO Jikonka)]という、こちらも古民家を改装した工房がある。2018年から、ここで日本古来の正藍染しょうあいぞめを行なっている。もとは漢方薬として中国から伝わった藍には解熱・抗菌などの作用があるとされ、身に付けて薬効を取り込むという教えが「服薬」という言葉に残されていると考え、昔ながらの正藍染を実践し体感しているのだそう。

    作り手でもありギャラリーオーナーでもあるという米田さんの来歴が、本質的な物の見極め方、そして良い物をいかにライフスタイルに落とし込むかというセンスに結びついているのだろう。

    着るもの、使うもの、そして食べるもの飲むもの。
    人の手と自然の恵みで、人の暮らしをしっかりとかたちづくる。

    そういったことが[Jikonka]の世界観の一部なのだと、到着から間も無くして感じられた。そして、その世界観を現在進行形で表現している対象が、お茶である。

    [Jikonka]では、米田さんと妹の岡田桂織さんが中心となって、手摘みの白茶や紅茶をつくっている。その製造の場としても機能する[KOBO Jikonka]には、米田さんがデザインした茶房も備わっている。今回の旅の目的はもちろん、米田さんたちがつくるお茶をいただくことなのだが、その様子については記事後編でご紹介させていただく。

    というのも、米田さんがまず先に見てもらいたいというのは亀山市内にある茶畑。そこには日本で亀山にしかないという品種、しかも推定樹齢90年の茶樹があるのだという。

    幻の紅茶品種「F4」

    関町から車を走らせ20分ほど。鈴鹿山脈が連なる亀山市の北側、茶畑が広がるエリアに到着した。腰高の見慣れた茶畑が手前にあるが、これは[Jikonka]のものではない。お目当ては、その先、ほぼ森に紛れ混んでいる2mを超す茶樹だ。

    高く伸びた「F4(エフヨン)」の足元に分け入れば、自分の身体が小さくなってしまったかのような、不思議の国に迷い込んだ感覚。F4は、かつて台湾から持ち込まれた紅茶向けの品種で、ここ亀山で試験栽培されていた。しかし、品種登録には至らず、商用利用もされずにほぼ“野生化”していたのだそう。

    「亀山市のこのエリアは、戦前に台湾で紅茶生産に従事していた川戸勉さんを中心に、台湾の山茶をルーツにもつ茶樹や、アッサム系のいわゆる紅茶品種を栽培し生産されていて、その一つが私たちの摘むF4です。三重県紅茶は、緑紅茶兼用の栽培ではなく、ほぼ100%紅茶専用品種で栽培されていたとのことです」

    数年前にこの茶の木に巡り合ったという米田さん。当初、木はもっと高く伸びて鬱蒼と生い茂り森の一部と化していたのだそう。今も農薬や肥料は使わず、適宜剪定は行う他は、ほぼ自然の力に任せている。

    国産の紅茶といえば、最近「和紅茶」として取り組む農家が全国で増えている。その一方で、亀山が歴史的に紅茶の産地だったということはむしろ新しい知識だった。

    明治時代、お茶は外貨獲得の国産品として生産が奨励されていた。そうした政府の方針を受けて、亀山では紅茶の生産が進められたそうだ。「べにほまれ」(元はC8と呼ばれた)のように品種登録される紅茶品種も出たが、F4はそれには至らず、仮の名前のまま、他の地域に広がることもなく長年ここに忘れ去られていたのだ。しかし、現在ではむしろ「亀山にしかない幻の品種」と認識されつつある。その魅力を見出した米田さんたちによって大切に手摘みされ、白茶や紅茶がつくられている。

    F4の木から葉を摘む米田恭子さん(右)と妹の岡田桂織さん(左)。高く伸びた枝を手の届く高さまで引き寄せながら、新しい芽を摘んでいく
    F4の葉っぱ。他の品種では花が咲ききっているこの時期に、F4の花はまだこれからというところ、芽もまだ伸びている

    F4の特徴の一つは、まずその葉っぱの大きさ。一般的な緑茶品種の葉っぱと比べても、F4の方が3倍、いや4倍くらい大きい。そして、摘んだばかりの茶葉をかいでみると、とても甘い香りがするのも特徴的だ。少しスパイシーなニュアンスを伴った甘い香りは、お茶になったときにも発揮されるという。「茶摘みの時には、甘―い香りが充満します」と岡田さん。背の高い木々に埋もれながら、甘い香りの漂う茶摘みの風景は、想像しただけでも楽しそう。

    F4の茶葉と実(お皿の上側)と、一般的な品種の茶葉と実(お皿の下側)。実の大きさも3〜4倍ほど違うのがわかる

    「これはすごい香りだ、と感動して自分たちでお茶をつくり始めて。最初のころ、茶業試験場の方にもご協力いただいて機械なども貸していただいたのですが、F4の茶葉ですと言ってもあまり興味を持たれなかったのです。そのリアクションにがっかりして、これはすごいですよ!と半ば食ってかかるように訴えたのを覚えています。今思い出すと申し訳ないくらい……」と笑う米田さん。さほどに衝撃的な出逢いだったということが伝わってきた。

    「これは本当に、素晴らしい。素晴らしいんですよ」

    そろそろ関町に戻ろうと茶畑を後に歩き出した時、F4の木々を振り返りながら米田さんがしみじみとそうつぶやいていたのが印象的だった。

    こんなにワイルドに生き続けてきた木のお茶はどんな味わいなのだろう。

    期待を膨らませながら[KOBO Jikonka]へと戻った。

    米田恭子|Kyoko Yoneda
    三重県松阪市生まれ。美術学校で陶芸を専攻、陶芸家として独立。その後、陶器、テキスタイルなどの展示会を企画。1998年、亀山市関町に[而今禾(Jikonka)]をオープン。衣食住から学ぶことをテーマに暮らしの道具を提案。台湾の有名ファッションデザイナーJamei Chenとの出会いを端緒に、台湾で日本の工芸を紹介すべく展示会を企画。現在は、関町を拠点に、中国へも活動を広げながら、お茶の可能性を探求している。
    jikonka.com
    instagram.com/jikonka_seki

    Photo: Kazumasa Harada
    Edit & Text: Yoshiki Tatezaki

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