• 陶芸家・市川孝さんが
    お茶で教えてくれたこと
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    陶芸家・市川孝さんが お茶で教えてくれたこと <前編>

    地元の滋賀、京都、九州、東京など国内はもとより、中国や台湾を中心とした海外からも、市川さんの作品とお茶を体験したいという声が届く。陶芸家でありながら、独自の世界観で表現する茶人でもある市川さんのすごさを説明するのは難しい。というよりも、それは体感によってしか伝わらないものだとすら思う。

    2021.07.13 INTERVIEW茶と器

    滋賀県米原市に窯を構えて活動する陶芸家の市川孝さんは、自らの作品を使い、またその時々の環境を採り入れて一期一会の茶を体験させてくれる茶人としての顔も持つ。今回のように即興に近いシチュエーションでも、自らの茶道具を広げ、周りに生えている植物の枝や葉を用いて、軽やかにお茶の時間を繰り広げる。

    中国に伝わる「工夫茶」をベースに、香りを愉しみ、煎の重なりによる味の変化を感じ取る。そこに、例えば「燻す」という遊びを加える。市川さんのお茶は、まさに体験だ。日常では得難いその体験から学べることは何か。今一度振り返ってみる。

    心に残る時間を共有すること

    緑茶、釜炒り茶、野草茶と、それぞれスモークにかけたお茶をいただく。スモークに使う植物もオリーブ、ユーカリ、茶の生葉と試してみては、煙の香りの違いも感じる。

    自在にお茶で遊ぶ市川さんにとって忘れられないお茶というのはあるのだろうか?

    「中国の南にあるシーサンパンナ(雲南州最南端、傣族の自治州)で樹齢1000年の見上げるほどの古茶樹に出逢い、樹齢700〜800年ほどの古樹からは実際に葉をいただいてお茶づくりを体験したことがありました。そこに同行してくれた青年がご自宅で淹れてくれたお茶がいつも頭の中にあります。家の下には豚や鶏が遊んでいて、2階へ行くと囲炉裏があった。煙もけっこうある中で、ただのフレンチプレスみたいなのに茶葉入れてお湯入れて、プレスしてコップに注いで出してくれたお茶がすごく美味しくて。こちらの気持ちが昂っていたというのもあるんだけど、本当にきれいというか清々しいというか。理想の茶樹に出逢えたっていう喜びもあるし、水を大切に汲んできてお湯を沸かしてるのもわかるし、いい茶器があるわけではないんだけど、彼なりに一生懸命淹れてくれたお茶。そこで見えてきたお茶の風景っていうのは、気持ちよかったですよ。だから、新しいことをどんだけしなきゃいけないかというよりは、“気持ちよく淹れること”を考えること。要はすごくシンプルなことでいいのかなって思っているんです」

    この日、市川さんが終盤に飲ませてくれたのは、3種類のお茶の出がらしをまとめて淹れてくれたもの。そして、それを茶杯ごと燻製器に入れてスモークをかけた。まるごと煙に包まれた一杯。市川さんのシーサンパンナの思い出の風景を、このお茶を通じて共有してもらったような感覚だった。

    わからないことを楽しむこと

    最後には「もうスープだね」と言うほどに極まった茶の液体。茶杯のふちに塩をつけていただけば、身体に沁み入る滋味。塩のありがたさまで感じさせる。

    「これはカクテルでよくやっていることなんですよね。お茶をスモークしてみるっていうこともそう。ただ自分はこれの効能というか、実際にいいのかどうなのかっていうのがわからないから、教えてほしいと思っているんですよね」

    わからないことを楽しむ、あるいはまず楽しんでやってみることで、わかることわからないことが見えてくるということなのかもしれない。憶えてやる、というより、考えながらやるということだろうか。

    「考えるというか……遊ぶというか。お茶をどうしようか、“お茶の出来事”ってどういうことなんだろうって考えた人が昔いたはず。その人は、お湯は何度がいいとはわかっていなかったわけよね。やってみたらこんなこともあるのかって。そういうことらしいって伝え聞いた人もいるだろうし、なるほどって思ってその先を追いかけた人もいるだろうし、逆に疑問を持ってそうじゃないなって思った人もいるだろうし。それぞれを体験していくのはいいんじゃないかな」

    茶室の入り口で繰り広げられたお茶会はいったんお開き。茶杯や蓋碗、煮茶器、炉などお茶を入れる一式はこの「岡持ち」ならぬ「お茶持ち」に収まるようになっている。

    お茶持ちと水と燃料を持っていけば、どこでもお茶が淹れられる。市川さんの有名な「茶車」も同じように、茶器とテーブル・椅子が一つの“車体”に詰まっていて、野にも山にも川にも持っていけるというもの。手押し車型やバックパック型、イーゼル型、スーツケース型など形はさまざま。道具が収まるべきところに収まる仕掛けは、それぞれ面白い。

    茶道具を持ち出させていただき、緑のある場所でもう一杯お茶を淹れていただいた。茶車を開き、茶器のセッティングを終えると、市川さんは使えそうな葉っぱなどを探しに周囲を散策する。

    植物再考のスイッチ

    やはり、市川さんの茶器も市川さんご自身も自然の中がよく似合う。入り口でお茶淹れをしていただいたことを少し申し訳なく思いつつも、先日まで南青山[Center for COSMIC WONDER]で開催さていた個展「植物再考」に宛てた市川さんの言葉を思い出していた。

    『今だからこそ、何でもない足元から始めたい。(中略)
    花や葉や、茎や根っこ。豆や粉や葉っぱ。
    植物の力をいただこう。
    魅力あることが足元にころがっている。スイッチが入ればそれが見えてくるはず』
    (「植物再考」の案内文から抜粋)

    [宮﨑茶房]の在来・手摘みの白茶。見つけた葉を茶則がわりに

    最後のお茶をいただきながら、この言葉を寄せた背景について尋ねてみた。

    「今、コロナっていうのが人々の暮らしの中で大きくて、自分は身体の免疫力を高めるっていう能動的なことを考えている。でも、それを難しく考えていくより、(ヒントは)実は転がっているというか。例えば『そうか、この白茶っていうのは身体を軽やかにしてくれる』と。他の野草にしても、美味しいだけじゃなくて、パワーがあるというか。今回『身体がほころぶ』っていう感覚を皆さんに感じてもらえたのはすごいことやなと。すごく緊張感がある世の中で、大なり小なりストレスを皆んな抱えているはず。それをほころばせるために、植物だと優しくできるんじゃないかなと。昔から人の身体にいいものは、人の周りにある。野草に詳しい方と歩けば、そこは宝の山になるかもしれない」

    例えば、お茶というチャンネルをひとつ持つことで、葉っぱのこと、水のこと、火のこと、身近にあるものを再考する視点が生まれる。ただ、現代的な暮らしの中でそのことに気がつくのは簡単ではない。

    しかし、お茶を燻したり煮たり炒ったり、足元に生える植物を使ってみせたりすることで、市川さんは私たちの中の“スイッチ”を切り替えようとしているのかもしれない。

    「水を汲んできて、松ぼっくりを皆んなで拾って火を起こして。葉っぱと水と火を合わせると『なんじゃこりゃ』っていう世界がそこにある。ちょっと知恵は必要だけど、そういうことをやればすごく面白いのかなと」

    あくまで、軽やかに、遊ぶように。だからこそ、市川さんのお茶は、人の身も心もほころばせてくれるのだろう。

    市川孝|Takashi Ichikawa
    1967年、滋賀県生まれ。彫刻を学んだ後、製陶所勤務を経て陶作家の道へ。1999年に伊吹町に築窯、日本各地や海外で展示を行う。工夫茶に学んだ、その場にある植物やもの、環境を採り入れるお茶淹れのスタイルも評価が高い。8月7日からは、滋賀県のギャラリー[季の雲]にて個展を開催予定。
    instagram.com/takashi_ichikawa1212
    tokinokumo.com(市川孝展覧会 8月7日〜15日)

    Photo: Yu Inohara (TRON)
    Text: Yoshiki Tatezaki

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