• 茶器と文化を巡る旅
    民芸店ましこで聞く
    益子焼の歴史

    2020.04.17

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    [民芸店ましこ]は益子で初めての益子焼専門店として、1952年11月に開店。人間国宝にして益子焼の巨匠・濱田庄司から現代の益子の陶芸家たちとの繋がりがあり、益子焼の変化を見続けてきた。[民芸店ましこ]の3代目・中山武さんに、益子焼の歴史、陶芸家たちの物語について伺った。

    暮らしに寄り添うから奥深い、益子焼の魅力

    「祖父が濱田庄司先生から『益子焼の宣伝のためにお店をやらないか』と言われて始まりました。ぼくで3代目になります」と、ゆったりした口調で話すのは[民芸店ましこ]の中山武さん。

    濱田庄司は戦前から戦後にかけて活躍した日本を代表する陶芸家のひとり。それまで甕(かめ)やすり鉢など台所の雑器を作っていた益子の焼き物を工芸の粋まで高めたことで知られている。濱田庄司と懇意にしていた陶芸家の佐久間藤太郎の娘さんが、武さんの祖母の小針(裁縫)の生徒だった縁で、濱田と武さんの祖父が知り合い、開店へとつながっていく。

    武さんのお父さまで2代目店主の隼男さん。初代とともに益子焼の発展を支えてきた。さまざまな陶芸家とのエピソードが豊富でお話を伺うだけも勉強になる

    ちなみに、武さんの祖母は、バーナード・リーチの着物を仕立てたこともあるそう。バーナード・リーチは、イギリス人の陶芸家で、濱田庄司とともに日本の民芸運動を支えた人。

    このようにさらっと話を伺ったたけで、益子だけでなく、民芸の歴史の重鎮たちの名前が次から次に出てくることに驚く。この店は、色々な益子の歴史を見てきたのだろう。

    「景気のいい頃は、投資目的で益子焼を購入する方もいたと聞いています。いまは時代も変わりましたね。若い人も増えて、老若男女幅広く愛されています」と武さん。取り皿やマグカップなどが売れ筋

    「とりあえず、座ってお茶にしましょうか」と言って武さんが持ってきたのは、大中小、同じデザインでサイズ違いの急須。濱田庄司の息子、濱田晋作の作品だ。

    「この急須は、もう50年は使っています。東日本大震災のときに口が欠けて、簡単に修理しました。ふたもしっかりと厚みがあって。急須はふたがしっかりしていると安定するんです。日用品だからこそ、使い勝手も大切なポイントですよね。それで、これ、色を見てください。一番大きいのと小さいのは日常的に使っているから、赤みを帯びているんです。真ん中のはほとんど使ってないから、色も白い。焼き上がったときの色に近いんです」

    濱田晋作の急須、大中小。<大>と<小>に比べると<中>が色白なのがわかる。使うにつれ色が変化するのが陶器のおもしろさ。大は急須というより土瓶に近いサイズで優に5人分はたっぷり収まる

    高山さんは言う。

    「ぼくは中山さんのお店に来て、こうしてお茶を飲みながらいろんな作家さんのお話を伺うのが楽しい。私生活とか他では聞けない話ばかりだからおもしろいよね。最近はお茶を飲むスペースがないお店がほとんどだから、お茶を飲みながらおしゃべりできるところは貴重です」

    3代目の中山武さん。益子焼の急須使ってお茶でおもてなし。「益子焼の湯呑みには、どっしりした茶托が似合いますね」

    お茶を飲みながら歓談するのは、この店の日常? てっきり取材だからだと思っていたが……。

    「昔はどこも『とりあえず、お茶をどうぞ』って感じだったと思います。うちは店内のレイアウトを変えても、お茶を飲むスペースは必ず残してますね。多分、お茶を出して雑談しながら接客する方が、話が弾むからかな。お客さんとの関係もですけど、陶芸家との関係も、お茶から始まります。急須を使って淹れて飲むお茶って、お互いリラックスできるし、相手を大切に思う気持ちの表れだから」と武さん。

    「濱田庄司先生から始まって、息子さんの晋作先生に代わって、いまはお孫さんの友緒さん。孫世代が益子焼の主流になりました。昭和30年代に加守田章二さんが益子に来てから芸大系の方が増えて、器も華やかな時代があったんですけど、基本的にはこの急須のような色数の少ない、滋味豊かな作品がうちは多いですね」と説明してくれた。

    「益子焼は日用品だからシンプルなものでいきましょう、というコンセプトでこの店は始まりました。だから、なるべく普段使いできるものを選んで置いています。あとは、窯元にこんな感じで作ってよ、と提案して相談しながら一緒に作ったり。あるものをそのまま売るのじゃなくてね。とはいえ、みなさん芸術家ですから、こちらの言うことを聞いてくれない人ばかりですけど(笑)」

    生まれたときから益子焼を使う生活が当たり前だった武さん。子供のころ、夏休みに友だちの家で食事をごちそうになったときに「あれ? うちとお皿が違う。猫の絵が描いてあって、こういうかわいいお皿でごはんを食べるんだ」と思ったのだという。

    「うちは地味で重たい益子のお皿ばかりだったから、子供心に新鮮でしたね」

    ときには親に連れられて窯出しに同行したことも。

    「ただ、陶芸家さんのなかには子供の扱い方がわからなくて、話しかけられることもなく、なんか飲む?もなんもなし。ずっと気を付けの姿勢のまま、黙って立ってて(笑)。それで1時間。早く終わらないかな〜って思ってました」

    「益子は、濱田先生や加守田さんなど、外から益子に来た人たちに盛り上げてもらってきた歴史があるんです。いまは高山さんが旗振り役でいろいろ発信してくれているのでありがたいです。ぼくも気づかなかった益子の魅力を再発見することができますから」

    街の中心から少し離れた路地にたたずむ[民芸店ましこ]には、今日も代々培われてきた審美眼とで集められた焼き物が並んでいるだろう。「これからものんびりと。うちはうちらしくやっていきたいです」と話す武さんからは、益子焼を支えてきた自負が垣間見れた。


    民芸店ましこ
    昭和27年創業。濱田庄司、佐久間藤太郎らと懇意にしていた初代が益子焼の陶芸家を支えるために開店した。以来、益子焼専門店として作家たちと共に歩んできた。益子焼に興味があるなら一度は訪れたい店。 9:00〜18:00 火曜定休
    www.facebook.com/nakayamatakeshi.kumi (Facebook)
    www.instagram.com/mingeiten_mashiko (Instagram)

    Photo: Yu Inohara
    Text: Akane Yoshikawa
    Edit: Yoshiki Tatezaki

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