• 黒と白のスタイリッシュな急須の裏側
    [南景製陶園]荒木照彦さん<後編>

    SCROLL

    記事の前編はこちらRead Previous Page

    黒と白のスタイリッシュな急須の裏側
    [南景製陶園]荒木照彦さん<前編>

    “日本茶を淹れるのに、必要な道具は?” きっと、多くの方の頭に思い浮かぶのは、注ぎ口と持ち手の付いたお茶用のポット、つまり「急須」のはず。 急須を知らない人は少ないはずだけれど、急須を日頃から使っている人は多くないのでは…

    2021.12.07 INTERVIEW茶と器

    三重県四日市市、[南景製陶園]の工場にて、量産型プロダクトと言っても職人の技が多分に活かされている急須作りの現場を見させていただいた。

    胴体、持ち手、注ぎ口、茶漉し、蓋という5つのパーツがそれぞれ成形され、そして一つに接合される。そこから、乾かしつつ表面の小さな傷や汚れを丁寧に拭って検品を行い、いよいよ素焼き、本焼成という窯の世界へと移る。

    電気窯での素焼きの後、再度検品を経て、ガス窯の本焼成へ。2段階で火を入れるのは、製茶〜仕上げというお茶づくりの工程と似ているような。原料の土を精製するのも大きさでの選別作業があるそうで、それもお茶づくりの選別を思い出させる

    無彩色の美

    [南景製陶園]の特徴的なマットブラックは、炭化焼成という焼き方によって、赤土が黒く変化することで実現しているのだという。「黒くすべ」と名付けられる独自の急須の焼成方法を生んだのは3代目、現社長の荒木照彦さんだ。

    荒木さんは、化学工学系の大学を卒業後、自動車の設計に従事した後、20代半ばで家業に戻った。「そのときは継ぐつもりはなかった」のだそうだが、その分、自分の興味に従って釉薬や窯業についての研究に没頭できたのだという。そこで学び、試した技術の中から「黒い急須の基礎」が生まれたのだという。伝統に縛られず試行錯誤に挑んだ荒木さんの根底にあったのは「自分が欲しいと思う急須がなかった」ということ。

    「生まれた時から急須はあって当たり前の世界でしたから。いつも見ていましたし、割ってしまっていい急須があったら割って遊んでいたくらい。でも、大学に行って、家から離れて、社会に出てから『使いたい急須がないな』と思った。うちの急須も別に欲しくないもんなぁとずっと感じていました。色々な産地に行ったり、急須だけではなくて、車にしてもインテリアにしても、シンプルなものがいいっていうことが漠然とわかってきました。シンプルの極みは無彩色、白か黒か。そこで黒からやってみようかということで、黒い急須を作り始めました」

    中央が「鉄鉢」、手前が「芙蓉」、奥が「杏」。先代から伝わるクラシックスタイルの型を踏襲、「黒練」と「白練」という二つのカラーで復刻した3つのサイズの急須

    焼成時間が長く、その間に微調整など段取りよく“窯の世話”を行う必要がある。したがって、プロダクトとして炭化の急須を実践しているところはなかったのだそう。「黒練くろねり」と名付けられた独自のカラーは、急須の伝統的な風格を保ちながらも、どんな空間にも合う絶妙なスタイルを導き出した。

    Sencha 690 白練 / 黒練。満水600mlの大容量の急須。荒木さんが愛用する。紅茶のジャンピングにも対応できる自信作

    白い急須も[南景製陶園]ならでは。[南景製陶園]は、荒木さんの曽祖父の代から始まった製土工場が大元としてある。製土工場は、水簸すいひ(きめ細かな土を得るために土と水を混ぜて篩にかける)や熟成といった土の精製工程を経て、陶器用の陶土を作るところ。そのノウハウは現在の土づくりにも生きていて、「白練しろねり」と呼ばれる白いカラーの急須は、大正から昭和時代の萬古焼によく見られた「白泥」というベージュがかった白色を2019年に復刻したオリジナルブレンドの土で作られている。

    自分が作りたいものを発信してこそのブランド

    四日市萬古焼といえば、精緻な彫りが施された急須が有名だが、[南景製陶園]の商品ラインナップを見ると、そういった“萬古焼感“は全くない。

    先代は彫り師だったこともあり、かつては彫りが入った急須を作っていた歴史はあるのだという。そう考えると、かなり大きな変化が起こったように思える。それは実際その通りで、急須作りはここ3〜4年で機械と人のハイブリット量産型に完全移行し、今までの型にはないような形の急須も年々増えている。

    「うちも多いときは20人以上お抱えの急須職人さんがいて、それぞれのお家で作ってうちに納めるという方式の時がありました。ただ、職人さんも減っていって、いずれは全てインハウスで作らなければならないというのも見えていたので、10年計画で変えてきました。産業として続いていくためには儲からなくてはならない。そのために何をしなければいけないか。自社ブランドを作って、自分たちのやりたいことを伝えていくことだと思ったので、それまでのことを全て変えようと思いました」

    荒木照彦さん。工場の隣にあるギャラリー兼お茶室にて

    万事、急須。

    黒い急須の素材開発から数えれば足掛け20年、ブランドの刷新などもひと段落し、ここ10年でようやく軌道に乗ってきたと話す荒木さん。

    黒と白のカラーリングだけではなく、「今のライフスタイルに合ったものを作りたい」とゼロベースでデザインしたのが「Sencha」というシリーズ。丸みのある胴体の急須(芙蓉、鉄鉢、杏)は昔からある型を踏襲しているのに対して、胴体が切り立った直線で作られているのが新しい「Sencha」シリーズ。接合、乾燥、焼成という工程で、この直線の形状を維持するのは難しいそうだが、職人さんの努力のおかげで実現できているのだそう。

    難しいチャレンジをしてまで、新しい形を目指す理由は何だろうか。

    「急須は、どこまでいっても、道具なんですよ」と荒木さんは話す。「どう考えたって、主役はお茶なんです。でも、お茶だけあっても、お茶は飲めないので。だから、急須の役割というのもあると思う」。

    「芙蓉 白練」の急須と「高台 碗 白 墨貫入」で、関町の老舗茶屋[かねき伊藤彦市商店]の「百年乃茶」を

    「人のために何かしてあげる。例えば、人にお茶を淹れて差し上げることができるようになるというのが、ある意味ゴールです。大人としてもちろん大事なことではありますが、子供に対してそういうことを伝えたいという思いがあります。子供がお茶を淹れてもらうという経験をして、将来大人になって自分が誰かに淹れてあげることができるようになる。そういうことが大事だと思っているので。そのためにも、まず急須がライフスタイルの中に入ってこないと」

    なるほど、と思わされる。

    お茶を飲むことの意味は深いものがある。

    家族での団欒、友人や親しい人とゆっくりとお茶を飲んだり、あるいは一人でも。そういった場面が生まれるには、道具が必要だ。

    “今の若い人たちはなかなか急須を持っていない”

    これは単に道具が普及していないということではなく、その道具によって生まれるはずの場面が生まれないということでもあるかもしれない。

    一緒に会社を支える妻の礼さんと

    「万事休すっていう、閉塞感があって、あまりよろしくない状況って誰にでもあるじゃないですか。そういう時にこそお茶を飲む。自分自身を見つめ直すことができるし、逆に誰かがそういう立場だったらお茶を差し上げられる、そういう人になりたいと自分自身思っています」

    「万事急須」

    [南景製陶園]の急須全てに、この4文字が刻印されている。

    一種のブランド名として「万事急須」という言葉を使っているという荒木さん。

    諦めるしかないような状況でも、急須があればお茶を淹れられる。あるいは、生きていれば必ず困難な状況があるけれど、急須があれば何事もなんとかなる、というメッセージかもしれない。

    「いろんな考えがあるし、何か一つでも感じてもらえたら」とはっきりとその言葉の意味を話してはくれなかったけれど、急須に対する強い想いはひしひしと感じられた。

    南景製陶園|Nankei Pottery
    陶器用の陶土を精製する製土工場から始まり、1972年に株式会社南景製陶園設立。荒木照彦氏は、叔父で初代社長の弘氏、父で2代目社長の吉彦氏の跡を継ぎ、2000年に社長就任。マットブラックの独自の焼成方法「黒くすべ」を開発、生産方法の変革、人材の育成、ブランドの再構築とさまざまな社内改革を進めるとともに、オランダの展示会に出品するなど国外販路の開拓にも努めている。
    nankei.jp
    instagram.com/nankei_pottery

    Photo: Kazumasa Harada
    Text & Edit: Yoshiki Tatezaki

    TOP PAGE