• 黒と白のスタイリッシュな急須の裏側
    [南景製陶園]荒木照彦さん<前編>

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    “日本茶を淹れるのに、必要な道具は?”

    きっと、多くの方の頭に思い浮かぶのは、注ぎ口と持ち手の付いたお茶用のポット、つまり「急須」のはず。

    急須を知らない人は少ないはずだけれど、急須を日頃から使っている人は多くないのでは。 “今の若い人たちはなかなか急須を持っていない”という言葉は、お茶の世界でよく聞かれること。リーフの(茶葉から淹れる)お茶に興味を持っても、急須という道具は選択肢が多すぎて、どんなものがいいのか選ぶのが難しいと感じてしまう人も多いはず。

    お茶の種類が多様なように、急須も千差万別。だからこそ、いろんな種類を見て、悩みながら自分が好きな急須を選ぶ面白さがある。

    好みは人それぞれで、正解はないことを前提に、今回は「今のライフスタイルになじむ」ような急須を作るプロダクトブランドにフォーカスを当ててみたい。

    空間になじむ急須

    全体は黒と白のマットカラー。柄もない無地のデザインなのだが、それがボディの形状なのか蓋のツマミなどの細かなディテールなのか、特徴的なスタイルを感じさせる急須。

    先日、表参道のギャラリーショップ[Spiral Market]にて急須のポップアップ展示が開催されていたところを偶然に通りがかった。「おしゃれな場所によく似合う急須だなぁ」と思わず購入しそうになったほどだった。その場の雰囲気もあったのかもしれないけれど、「茶器を買う」というより「インテリアとして選ぶ」というような感覚があったのも新鮮だった。

    切り立った直線的な胴体の黒い急須。手前の湯呑みと横のプレートも同じブランドのもの

    その急須ブランドの名前は[南景製陶園]。
    三重県四日市市に工場を構え、量産プロダクトとして急須を作り出しているのだという。

    マットで無地の急須は主張しないデザインのようでいて、単におしゃれなだけではない洗練がある。その急須が作られる裏側を覗かせていただくために、四日市市の製造現場を訪ね、デザインを手がける[南景製陶園]代表の荒木照彦さんにお話をお伺いした。

    プロダクトであり、手仕事である
    急須が作られる場所

    三重県北部、四日市市の市街地に[南景製陶園]はある。住宅に混じって製陶所が多く存在するエリアだ。愛知県の常滑焼と並んで急須の産地として名を馳せた萬古焼の町に来たのだという感じがする。

    しかし、[南景製陶園]3代目の荒木さんは「地域名にはこだわっていない」と話す。「四日市萬古焼というのは伝統工芸品に認定されていますけど、それを伝えることを目的にものづくりをしているわけではなくて。目的はやっぱり、私たちが作る陶器を使っていただいて、豊かなというか、みんなが笑顔でいられるお家があるっていうのが理想なので」。

    確かに、[南景製陶園]の商品の印象は、良い意味で地域性がない。語弊を恐れずに言えば、作り手が見えづらいとすら感じていた。そのイメージは工場を見学させていただく中で大きく塗り変わった。

    機械式轆轤で成形しているところ

    工場に入ると、カシャンカシャンカシャンと一定のリズムで動く機械の音が響いている。「動力成形」と呼ばれる最初の工程では、石膏型をセットした機械式轆轤を回し、その中に陶土を流し込む。上の写真では、そこに、型に対応したコテを押し当てて、余分な土を取り払いながら適切な厚さのパーツを成形している。

    パーツとは、胴体、持ち手、注ぎ口、茶漉し、そして蓋という急須の5つの基本構成要素のこと。考えてみれば当たり前のことだけれど、持ち手も注ぎ口もついた急須の形のまま、一つの型からぽんとできるのではないのだと認識させられる。

    別個のパーツを接合する陶器というのは他にあまりないという。マグカップでも胴体に持ち手を付けるくらいのもの。単体で成立するお皿などと比べて、急須はものづくりとしてのレベルが高い。

    「以前は職人が轆轤を回して、一つずつ手挽きで作っていたんですよ。この3〜4年くらいで、全て型に置き換えました。職人も少なくなっていく中で、安定したプロダクトとして生産するために必要な変化でした。でも型で急須を作ると言っても、専用の機械もありませんでしたので、そういった道具から全て自分たちで作るしかない。うちにある機械はほとんど自作したものです」と荒木さん。

    壁にかけられたコテの数々。一つずつ異なる商品パーツに合わせて用意されている。先代が木を削って作ったものだという

    プロダクト、量産品と言っても、そこには人間の手が多く介在している。原料は土。気温や湿度によっても変化するコンディションを感じ取るには、熟練した職人の技術が必要なのだ。

    成形されたパーツは、「かんかん」と呼ばれるブリキの箱に収められる。乾燥しすぎないように、新聞紙をかぶせて適度な保湿を行う。乾いて固くなりすぎては接合がうまくいかないからだ。「急激に乾燥すると、土が切れたり(接合部に隙間ができたり、ひびが入って)失敗する原因になります。今時期、乾燥し出しているので注意が必要ですね」とこの道15年の岡井さんが手を動かしながら教えてくれた。

    接合するときは、碗型を歪ませないように押し付けすぎず、やさしく、無駄な力を入れずになじませるのがコツなのだそう。

    接合用の泥が溢れたら指でやさしく取ってから、さらに筆を使ってきれいに拭う。手の跡はもちろん筆の跡が残ると、無釉で焼く場合、それらが表面に出てきてしまう。

    持ち手をつけるときの目測も難しい。注ぎ口との角度は90度より内側、80度台が基本だという。急須によって少しずつ角度が違うそうだが、それは「作っている人がわかるかどうかくらいの違い」だという。

    淹れやすい角度、見た目に美しい角度。目安や設計図はもちろんあるのだろうけれど、流れるような作業を見ていると、職人さんの長年の経験がなせる技だと思わされる。

    注ぎ口の先っぽを切り落とすのも手仕事。「見た目にも注ぎ方にも影響するので、これはかなり重要ですね。僕はもう体で覚えているので。10年くらいやらないと身につかないのかな」。

    接合したものは半日から一日、むろと呼ばれる棚で寝かされ、硬くなる。接合作業中は触ったら曲がりそうな軟らかさがあったが、寝かされたものは反発するような硬さが出ている。

    ここで蓋を載せていくのだが、蓋にも個体差があって、はまる蓋とはまらない蓋がある。「量産品だからどれでも合いそうな気がするんですけど、そうじゃないんですよね」と、手際よく一つずつの相性を確かめていく。ここで合った蓋と胴体は、最後まで一緒なのだという。

    職人技に見惚れているうちに陽も落ちかけてきた。

    この後は窯で焼かれる急須たち。その焼成方法に、[南景製陶園]のあのマットブラックの秘密があるのだが、この続きは後編で、荒木照彦さんにじっくりお話を伺おう。

    南景製陶園|Nankei Pottery
    陶器用の陶土を精製する製土工場から始まり、1972年に株式会社南景製陶園設立。荒木照彦氏は、叔父で初代社長の弘氏、父で2代目社長の吉彦氏の跡を継ぎ、2000年に社長就任。マットブラックの独自の焼成方法「黒くすべ」を開発、生産方法の変革、人材の育成、ブランドの再構築とさまざまな社内改革を進めるとともに、オランダの展示会に出品するなど国外販路の開拓にも努めている。
    nankei.jp
    instagram.com/nankei_pottery

    Photo: Kazumasa Harada
    Text & Edit: Yoshiki Tatezaki

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