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洒落っ気の裏に地元への愛とお茶へのリスペクト 根岸[徳岡勘兵衛茶舗]徳岡大介さん<前編>
JR鶯谷駅の南口を出て、右へ進めば上野公園。徳川家と縁が深い寛永寺や美術館や博物館が立ち並ぶ、文化と歴史の香りに満ちたこのエリアは、多くの人々で賑わっている。しかし、今回の目的地はその逆。南口を左に折れ、坂を下った先にあ…
2025.07.18 INTERVIEW日本茶、再発見
東京の下町・根岸に佇む[徳岡勘兵衛茶舗]は、地元出身の徳岡大介さんが6年前に開いた“街の喫茶兼居酒屋”。
ただ、ここ数年、店主の徳岡さんの姿を店で見かける機会は、それほど多いわけではない。特に新茶の時期は全くと言っていいほど姿を現さない。
その理由は、彼が東京から遠く離れた、静岡の山間にある川根本町で「茶農家」としても働いているからだ。徳岡さんが不在の間は、店の運営はスタッフの雨田さんに任せ、自身は静岡でもう一人の仲間と共に茶畑と向き合う日々を送る。
一介の居酒屋店主が、なぜ自らお茶を栽培するまでに至ったのか。その問いに、徳岡さんはいつもの飄々とした雰囲気の中に、少し熱のこもった口調で語り始めた。
「『このお茶は〇〇産で、〇〇という品種で〇〇さんというお茶農家が作ったものなんです』って説明されても、どういう顔して聞けばいいかわからなくなりませんか?(笑)それだけだとお客さんは納得してくれないんじゃないかなと自分は思うんです。ある種、責任の所在を明確にする作業なわけですけど、それなら説明は早い方がいい。自分がお茶をつくれば、『自分がつくっているお茶です』で済むわけですから。それでお茶をつくり始めたんです」
たしかに、自分がお茶をつくっていれば、お客さんに提供する時にその一言だけで説明がつく。それ以上に説得力のある言葉はないだろう。
このDIY精神は、彼が敬愛するアメリカのロックバンド「Fugazi」の影響も大きいという。「Fugazi」といえば、メジャーレーベルに属さず、反商業主義を貫き、ステージ設営すら自ら行なったという伝説的バンドだ。
「それに、自分でつくれば、他者に脅かされないというのも大きいのかなと。以前、抹茶の価格が高騰して、どこに行っても買えない時があったんです。ああいうことには巻き込まれたくない。自分たちでつくればね、100%確保できるんで」
説明責任をシンプルにし、誰にも脅かされない自由を確保する。店主自ら畑に立つという一見遠回りに見える選択こそが、徳岡さんにとって最も確実で、揺るぎない道筋なのである。ただ、そうしたお茶をめぐるサプライチェーンから少し外れた存在であるからこそのちょっとした悩みも徳岡さんは吐露した。
「お茶関係の知り合いが全然いないんですよね。もっと知り合いが欲しいです。だからCHAGOCOROさんでお茶のイベントを開く時は、必ず参加しますよ!(笑)」
3年前に川根本町に移住し、お茶づくりを始めた徳岡さん。
当初、東京の店は徳岡さん一人で切り盛りしていたが、茶業を始めるにあたって中学の同級生だった雨田さんを店のスタッフとして迎えた。そして茶畑の作業の中には一人で行うには難しいものもあるので、もう一人ボーイスカウト時代に出会った友人にも仲間入りしてもらった。
結果的にお茶をつくり始めたことで、「小さな雇用を生んで友達を囲い込む」という当初の目標も叶えることができたのだ。
しかし、お茶づくりは相当な激務だと身をもって学んだという。
「正直、やんなきゃよかったなと思うようなことしかないですよ」と本音を漏らした。だが、その苦労を凌駕する喜びがある、とも語ってくれた。
「新茶を摘む瞬間、あれに勝る喜びはないっすね。新茶の時期の町全体のエネルギーの上がり方がすごくいいんです。異常な熱気になるんですよ。80ぐらいのおじいさんたちが、寝ずに作業するので、もう目が血走るくらいの真剣さ。それで、とんでもなく美味しいお茶を持ってくるんすよ。それを支えるご家族も相当大変だと思うんですけど、そうしたいろいろな努力や犠牲の上に、その結晶のようなお茶が生まれるんです。その熱気を肌で感じられるのが、すごく面白い。新茶の時期を過ぎて秋頃になると、『もういい。東京戻るわ』ってなるんですけど、でも、また春になって新茶の時期になると『やっぱ素晴らしい世界だわ』ってなるんですよね。その繰り返しです」
川根本町は、静岡県中北部に位置し、山々と大井川に囲まれた日本有数のお茶処。ここでつくられるお茶のクオリティはとても高く、川根産のお茶は全国の品評会でも多くの上位入賞を果たしている。
そんな土地で、これまでに3回新茶の時期を迎えてきた徳岡さんは、「達人」たちとの圧倒的な差をまじまじと感じるという。
「たとえば施肥のやり方が完全に違います。肥料が一番効きやすいタイミングをしっかり見極めてます。とりあえず肥料入れよう、消毒しようじゃないんですよね。少しでも追いつこうとするなら、もうそういう人たちの家に住み込んで、つきっきりでやり方を見るくらいしないと、どうやっても無理じゃないかなっていうクオリティの差を感じます」
「いい意味ですごくおかしい人がいるんです」と、最大級のリスペクトを込めて、とある茶農家さんの茶づくりを語ってくれた。
「普通、傾斜地の畑は水はけが良く、冷気がたまりにくいので良いお茶ができるとされるんですが、この方は違う考えを持っていて。というのも、傾斜地に生える木の枝は、坂の上側と下側では長さが少しずつ違ってきます。下側に生える枝は少し長くなるので、芽が出る位置が幹から遠くなる。幹から葉が遠くなればなるほど、お茶の味は弱くなります。そうならないために、傾斜の利点を活かしつつも、葉と幹の距離が遠くならないように、めちゃくちゃ計算して、自分で土を盛って畑を造成してしまうんですよ。さらにミリ単位で刈り取る角度を調整できるレール式の茶摘採機を導入したり。そういう姿を見ると、自分がお茶のこだわりを語るのはまだまだ、だと思いますね。つくるお茶も自分のものとは味の“圧”が違うと感じます」
熱っぽく川根本町の茶農家の方々へのリスペクトを語る徳岡さん。そんな川根で自分たちは「“お茶っぽいもの”をつくっているんです」と話す言葉には、冗談と真剣さが入り混じっている。
そんなことを言いながらも、徳岡さんがつくったお茶、通称「徳茶」の味わいは確かなものだった。
その真価を味わえる一杯が、店の看板メニューでもある「煎茶ジントニック」。爽やかな飲み口ながらも、煎茶の濃厚な渋みが口の中に広がっていく。
ジントニックとあっても失われないこの濃厚なお茶の風味は、[徳岡勘兵衛茶舗]だからこそ可能なものだ。
茶葉をジンに漬け込んで風味を抽出する方法が多いが、[徳岡勘兵衛茶舗]では、注文ごとにお茶を急須で一杯ずつ抽出し、それをジンとトニックで合わせることで作っている。しかも茶葉は一杯につき、8グラムも使用するという贅沢っぷり。
自分たちで茶葉を賄えるため茶葉をふんだんに扱えるが、それでも一杯ずつ急須で抽出するのはかなり非効率な方法だ。なぜその方法で煎茶ジントニックを提供しているのだろうか。
「茶葉をジンに漬け込む方法だと、お茶の風味が明確に”出きってない”んですよね。渋みや苦味が出ない分、甘さがより前に出て、なんかもたつく。美味しいとは思うんですけど、勿体無いなって。茶葉を漬け込む方法も何回も試したんですけど、結局うまくいかなくて。もしそのやり方で漬け込んで美味しくジントニック作っているお店があれば、ぜひそのレシピ教えてほしいっす」
このように味に妥協を許さないのも、茶農家であるがゆえ。お茶づくりを始めたことで、お茶の味わいに対する解像度は格段に上がった、と徳岡さんは語る。
「粗揉、中揉、精揉と様々な工程を踏んでいくなかで、それぞれの工程が風味にどんな影響を与えるか、なんとなくわかるようになってきましたね。それに茶葉の収穫のタイミングでも、味わいって結構変わるんです。お茶を飲んで、そういうことが感覚的に推測できるようになってきたのは面白いです」
製造工程を知ることで、飲み手としての感覚も研ぎ澄まされていく。お茶づくりで培われた味わいへの解像度の高さが、利益にこだわらないこだわりの一杯を生み出しているのだ。
お茶づくりの魅力に惹きつけられながらも、それでも徳岡さんの根本にあるのは、地元・根岸に対する想いだ。
「江戸時代から続く居酒屋さんが近くにあったり、100年以上続いている店がちらほらある場所なんですよね。そういう街が紡いできた文脈の中に自分たちはいるんだ、という意識は常にあるんです。だから、地元の風景を変えたくないし、途切れさせたくない。そのためにこの店を頑張ってる感じです。この街で育ってきた身として、街からもらってきたものがたくさんあるし、今度はそれを還元していかなきゃなと」
そして最後の最後まで、照れ隠しのようにこう付け加えた。
「それに、我々ここ以外だと生きていけないんで。だから、そうするしかないんですよ」
徳岡さんのこの人柄だけでも、また店を訪れたいと思わせる。そんな人が地元のことをこれだけ思ってくれているから、根岸は幸せな地域だと思った。
最後に徳岡さんは、今後この街でやりたいことを語ってくれた。
「もつ焼きと茶割りを出す屋台を根岸でやりたいんすよね。今年は和紅茶をつくろうと思っているんですけど、和紅茶ハイボールなんかも出したりして。スパイシーな感じにしたら、もつ焼きとめっちゃ合うと思うんですよね」
自分たちの手で茶を育てること。
自分たちの手で仲間が集える場所を作ること。
そのすべては、愛する地元の未来へと繋がっている。
洒落っ気の裏に隠された、お茶へのリスペクトと地元への愛情。自らの手で責任と自由を掴み取り、愛する街の文脈を未来へ繋ぐ。根岸の片隅にあるこの小さな店は、日本茶との自由な関わり方を問い直す、大きな挑戦の場でもあった。
徳岡大介|Daisuke Tokuoka
1999年、東京都台東区根岸生まれ。2019年[徳岡勘兵衛茶舗]をオープン。好きなお茶屋は[Satén][櫻井焙茶研究所]、Tearoom。今一番行きたいお店は[偶吟]。
雨田穣|Joe Ameta
2000年、東京都台東区入谷生まれ。2021年[徳岡勘兵衛茶舗]に加入。好きなお茶屋、行きたいお店は徳岡さんに同じ。
徳岡勘兵衛茶舗
東京都台東区根岸3丁目1−9
17:00〜23:00、水定休
IG @tokuokakanbechaho
Photo by Kumi Nishitani
Text by Rihei Hiraki
Edit by Yoshiki Tatezaki
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