京都・五条大橋を西に渡り、鴨川沿いを少し下ったところにある茶室/茶藝室[池半]。亭主の小嶋万太郎さんと妻の慧さんの二人が、一組限定で、お茶とともにもてなしてくれる。
約90分の茶席のコースでは、まず1階のテーブルで2種類のお茶を淹れてもらえる。それぞれ4〜5煎じっくりと堪能した後には、2階に上がって3種類目のお茶をいただく。
「2階では、お客様だけでゆっくりと過ごしていだたく空間です。淹れ方の説明を兼ねて、1煎目は私たちがお淹れをしますが、その後はお客様にバトンタッチ。お好きなペースでお茶を楽しんでいただきたいです」
そう慧さんが説明するのは、鴨川を見渡せる大きなピクチャーウインドウがある10畳ほどの一室。鴨川のほとりを借景にして、陽の入り方の動きで時間の流れを感じる。
熊本の農家さんがつくった「かなやみどり熟紅茶」は、「熟」とある通り熟成してあるお茶で、なんと製茶から8年も経過した茶葉だという。砂糖が入っているのではと感じるほどに甘みが強い紅茶が、熟成によってさらに丸みを帯びている。香りは、慧さん曰く「梅のような」香りを楽しめる、個性的なお茶だ。
万太郎さんも慧さんも、昔から家でお茶をよく飲む環境に育ったという。
万太郎さんは、愛知・瀬戸の窯元「池林堂半七」「還情園池紋」の家系の生まれ。略して「池半」と呼称され、初代は江戸時代中頃という。明治期に人気を博した染付の磁器製便器やパリ万博にも出品した花瓶が有名だと教えてくれた。窯自体は昭和に閉じてしまったが、万太郎さんが屋号を引き継いで「池半」の暖簾を掲げている。かつての「池半」ではもちろん茶道具の類も作っていて、そうした品々が家や蔵の中にあったのだという。
「もちろんお茶は今も学び続けていますが、やはり生まれ育った家で覚えたものがベースにあると思います」と万太郎さん。
「お茶をただ淹れるために、日本人は多くの道具を生み出してきました。抹茶を点てる釜の蓋置とか、炉縁とか、一見何に用いるのかわからない道具も多い。そういったものまでなんでも陶磁器でつくるというのが瀬戸という焼物産地の誇りだったように思います。幼い頃は、先祖が作ったそういう茶道具類をどうやって使うのか無性に興味が湧き、大人が使っているのを見たり真似たり、習うというか肌で感覚を掴んでいったような覚えがあります。子どもの頃の自分にとって、茶室はコックピットのような感じで、なんともいえない居心地のよさがありました」
一方の慧さんは、東京生まれ。小中高の多感な時期は静岡で過ごしたこともあり、万太郎さん曰く「うちよりもお茶を飲む家庭」に育ったそう。
「うちには“朝茶”という習慣があり、朝起きたらまず最初に急須で家族全員分のお茶を淹れるんです。それは実家を出て一人暮らしをするようになってからもごく自然に続けていました」
その後、27歳の頃から5年間、台湾の台北で過ごした。
「私にとっての第二の故郷は台北ですね。多くの出会いや発見があり、いろんな物事に対する価値観も大きく変わった5年でした。特に台湾茶との出会いは人生の転機ともいえる大きな出来事だったと思います。
台湾といえば高山茶や凍頂烏龍、東方美人などが有名ですが、それらは全て〈烏龍茶〉の製法で作られています。台湾では紅茶や白茶、緑茶も生産されています。同じチャノキの葉でつくられるものなのに、味や香りの種類が本当に幅広いのが中国・台湾茶の特徴です。
茶の作用には例えば身体の熱を取り除く『陰』と身体をあたためる『陽』がありますが、その日の体調ごとに飲みたいものを選べるというのも魅力的でした。数多ある茶の中からその日の気分やシチュエーションに応じてイメージ通りのお茶を選べるようになりたい、と思うようになり、独学で勉強していきました。
そうして、茶葉の理解が深まってくると、今度は生産現場である茶園の生育環境や、淹れ方の技術、茶葉ごとの茶器との相性などにも興味がわいて、気が付いたらお茶がもっと好きになっていました」
独学でお茶への理解を深めながら、台湾の茶藝館で淹れ手としての経験も積んだ慧さん。そんな縁が巡り巡って、台湾の茶産地を訪ね歩いていた万太郎さんに中国語の通訳として紹介されたことが二人の出会いとなった。
「台湾に暮らしていたころ、最初は土地勘のある東京でお茶の店をしたいと思っていたんです。でも彼との縁で、右も左も分からない京都に移り住むことになって。京都のことは何も分からないので、最初はただ漠然と、自分自身が楽しいと思えるようなお茶の空間が作れればいいなと思っていました。でも、実際に京都に何年か住んでみて、少しずつ京都の雰囲気も分かってきて、有難いことに池半もいろいろなお客様に来ていただけるようにもなって、いま改めて京都で始めてよかったと感じます。京都には、日本各地からお茶を楽しみに来てくださる方が多いですし、お茶に限らず、型にはまらないユニークな営業形態のお店も多いので、受け入れていただきやすかったのかなと思います」
万太郎さんも次のようにつづける。
「自分も京都の出身ではないですけれど、大学が京都で、その後仕事で一度離れてから久しぶりに京都に訪れたときに魅力を再発見しました。学生時代とは見方も変わっていて、当たり前のように眺めていたこの鴨川の景色をいとおしく想うようになりました。この豊かな川のそばで仕事をしていたいなと、そしてここでいろんな方にほっと一息ついてもらいたいなと思ったんです。京都は、人と人が密で、相談のしやすさ、居心地の良さ、ネットワークの力みたいなものが強い気がします」
万太郎さんが即興的に淹れてくれた蝋梅のお茶。お湯を差しただけとは思えない色、甘い香り。「つぼみの方が香りが強いんです。これは花びらが開いたものでしたが、それでもこれくらいは香ります」と万太郎さんが言えば、「少し前だと金木犀を入れたり、春には桃の花を入れたりとか。お湯を差すだけでお花からこんな香りがするんだって、喜んでくださる方も多いです」と慧さん。
そんな美意識が羨ましいと思えてくる。といったことを伝えると、「いや、軸は美意識ではないですね」と万太郎さんがあっさり答える。
「将来に残すべきものを残していく、その一助となりたいというのが本質かなとは思います」
慧さんも「例えば日本の美意識のひとつに『侘び寂び』というものがありますが、朽ちていたり、割れていたり、古いものの良さっていうものは、若い頃にはわからなかったです」と話す。
「主人は学生時代から古物ばかり集めていたそうですが、私は陶片や古布を茶席のしつらえに使うという発想はありませんでした。茶器も新しいもののほうが失礼がないかなとか。でも、古布に染みた茶渋の景色がときに美しかったり、金継ぎを施した茶碗に妙に愛着が湧いたり、古い鉄瓶の直しがかわいらしかったり。茶文化と親しむにつれてそういう趣を感じるようになれた。『侘び寂びの精神』もそうですが、『宮中文化の雅』だったり『年中歳時の習俗』だったり。京都にはまだそういうものが溢れているなと感じます。そういったものが未来につながっていくといいなと思います」
歴史と文化が蓄積する京都という街で、若くしてさまざまな価値観を吸収してきたお二人が、お茶の空間を育てているということに、大きな価値を感じざるを得ない。また、今度来た時は、台湾のお茶も飲んでみようか、2階の時間をでできるだけ長くしてぼーっとするのもいいかもしれない……帰る頃にはすでにそんなことを考えていた。
小嶋万太郎|Mantaro Kojima
愛知で瀬戸焼の窯を営んだ「池林堂半七」「還情園池紋」の家系に生まれる。大学から京都に暮らし、京都・鴨川沿いに町家宿[鴨半]を2013年に開業。2020年、その隣りに[茶室/茶藝室 池半]を開業。
小嶋慧|Kei Kojima
東京生まれ、静岡育ち。台湾に約5年暮らし、現地の茶文化に親しむとともに、現地の茶藝館で経験を積む。2021年、万太郎さんと結婚。ともに[池半]で茶席を提供している。
池半|Ikehan
京都府京都市下京区都市町143-11
営業は土日月火
春夏(3月〜10月)11:00〜16:00最終入場
秋冬(11月〜2月)11:00〜15:00最終入場
予約については ikehan.jp/yoyaku をご覧ください。
また、展示等で営業日時が変更になることがあるので、最新情報をインスタグラムでご確認ください。
instagram.com/ikehan.mantaro
ikehan.jp/yoyaku
Photo by Tameki Oshiro
Text by Yoshiki Tatezaki