標高1,000m級の山々に囲まれた歴史ある美濃白川茶の産地、岐阜県東白川村。この村で生き抜いた茶葉に魅了され、もっと多くの人にお茶を淹れる時間を届けようと奮闘する二人がいる。
[美濃加茂茶舗]は、伊藤尚哉さんと松下沙彩さんの2人が手掛ける日本茶ブランド。東白川村産の一番茶を使用して、煎茶、ほうじ茶などの茶葉製品やオリジナルの湯呑みを展開している。元々デジタル分野を軸に様々な事業を行う企業と立ち上げたプロジェクトを、2020年3月から本格的なお茶ブランドとして引き継ぎ、独立したのだそう。実店舗は持たず、オンラインストアやイベントを中心に活動しているのも彼ららしく、今日は二人が暮らす名古屋を舞台に、立ち上げの経緯からお話を伺っていった。茶業界には縁もゆかりもなかった二人が、お茶にのめり込んでいった背景とは…。
忙しい日々だったから知れた、ほっと一息の深さ
[美濃加茂茶舗]代表の伊藤尚哉さん
伊藤さんにとって、お茶の世界に足を踏み入れたのは全くの偶然だった。
伊藤さんは今でこそお茶を淹れる人だが、実は元サラリーマン。営業マンとして日本中を駆け回っていたのだそう。ある日、会社を辞め、そんな日常から抜け出した。転職先に選んだのは、名古屋市内にある個人商店のお茶問屋さんだった。
伊藤 おばあちゃんが一人で切り盛りしているみたいな、ほんとうに“街のお茶屋さん”みたいな感じです。店先に急須が並んでいるような、常連さんだけが来るような、ひっそりと営業しているお店でした。
[FabCafe Nagoya]のカウンターテーブルを借りて、[美濃加茂茶舗]の『煎茶』を淹れていただいた
現在30歳の伊藤さん。すると、そのお茶屋で働いていたのは25歳前後のはず。大卒で就職した企業を辞めて、縁もない“街のお茶屋さん”で働き始めるきっかけは何だったのか?
伊藤 きっかけは……元々はお茶とは何のかかわりもない会社に新卒で入って、飛び込みの営業をやっていて、かなり忙しく働いていました。紀伊半島の先っぽまで営業に行ったのですが空振りで、海を眺めながら途方に暮れたこともあったり……。それで、あるときにそのお茶屋さんが社員を募集していると人づてに聞いて。お茶屋さんって平和そうなイメージがあっていいかなと思ったんです。
それまでは「お茶を意識したことがなかった」という伊藤さん。しかし、お店にある産地や種類の違うお茶を自分で淹れて飲んでみるうちに、お茶に対する認識が変化していったのだそう。
伊藤 「水と一緒」ぐらいの認識でしかなかったんですけど、やっぱりお茶をじっくり味わうことが習慣化すると、シンプルに面白いなとか、昨日飲んだお茶と全然味が違う、なんでだろうとかって、色々調べていくようになりますよね。それでどんどん沼にハマっていったんだと思います。
そうした探究心をくすぐる奥深さとともに、暮らしのなかで小休止する時間をつくるという平穏さにも魅了されたという。ハードな営業職を経てから、お茶の世界を再発見したのは必然でもあったのかもしれない。
伊藤 お茶を淹れて飲むことを日常にすること、さらにそれを仕事にすることが平和すぎて。働き詰めの生活だった分、“ほっと一息の深さがすごい”と思って。そこでお茶に対して意識が変わったというか。
美濃のお茶との出合い
転職先となったお茶屋では地元愛知が誇る西尾の抹茶や、静岡、京都、福岡など各産地のお茶に触れる機会があり、伊藤さんは「色んなお茶を試せるのは面白かった」と感じる一方で、「もっと色々な提案ができるはずなのに」と膨らむ探究心を抱えていたという。
伊藤 常連さんごとに、いつも買うお茶が書かれている台帳があって、どのお客さんも基本的には同じものを買うんです。僕的には、「いつも静岡の普通の煎茶しか飲まないけど、京都の玉露とかもおすすめしてみたいな」という気持ちがあって。お茶のバリエーションに気づいていたので、「お茶ってまだまだ色々な面白さがあるはず」とは思っていました。
そんな思いが募って、日本茶インストラクターの資格を取得、自ら茶畑を訪問したり、イベントに参加するなど活動を広げていく伊藤さん。その過程で出会った生産者の一人が、現在[美濃加茂茶舗]で扱う茶葉を生産・製造する、東白川村の生産者・田口雅士さんだった。
栽培限界と言われる標高600mに位置する東白川村の茶畑は、450年以上もの歴史を持つ美濃白川茶の名産地として今も知られている。大型の機械は物理的に入れない急峻な斜面は管理が難しく、担い手が減っているという側面がある。しかし、「田口さんは専門知識や歴史をぜんぶ踏まえた上で、すごく面白い提案をする」と伊藤さんはポテンシャルを強く感じたようだ。
伊藤 ブレンドとか焙煎という茶師としての領域でも、今までと違ったものをつくりたいと常に考えている方だと思います。すごく勉強になることが多いですし、アイデアとしてもとても刺激になります。
田口さん(左)の工場で話を聞く伊藤さん。今でも毎月ペースで田口さんの元を訪れている
こうした出会い結実してスタートしたのが[美濃加茂茶舗]というプロジェクトだった。お茶にのめり込み、発起人の一人ともなった伊藤さんの一方で、松下さんはといえば、ちょうど広告代理店からフリーランスに転向、その経験を活かしてこの新事業のプロジェクトマネジメントを担当することになったというのが参画の経緯だったのだという。
松下沙彩さん。伊藤さんとともに[美濃加茂茶舗]を運営している
松下 前職を辞めたところでしたが、それはお茶をやろうと思っていたわけではなく、フリーになってたまたま[美濃加茂茶舗]ともう一つ別のおでかけメディアの担当をお願いされたんです。私は札幌出身なので、茶畑も見たことないですし、急須も持っていませんでした。東白川のお茶と出合って、初めてお茶を自分で淹れるようになったくらいです。
松下 在宅ワークになっていたので、家にいたら自分で何か飲むものを用意しなくちゃいけないというタイミングでたまたま[美濃加茂茶舗]のお仕事と出合って、伊藤くんが淹れているところを見て「意外とスタイリッシュでかっこいいな」というインパクトを受けて、自分も淹れてみたいって思ったという感じでした。わりと茶器から入ったタイプでしたけど、そこからハマりましたね。
そして2019年2月に[美濃加茂茶舗]がスタート。美濃地方の魅力を発信するお茶屋として活動を始める。
東白川村のお茶の特徴は、キレのある渋味と、山のお茶ならではの爽やかで澄んだ香りだという。「自分にとっては毎日飲んでも飽きない、一番落ち着くお茶」と伊藤さんは語り、「いろんなお茶を飲んでみて、やっぱり最初に飲んだ東白川村のお茶が一番好きだと感じ、ここのお茶を届けられるのはいいと思った」と松下さんが語るように、お茶に対する愛着は日ごとに深まっていった。
1年が経つ頃には、「もっと茶業のためにできることをしたい」と、よりお茶にフォーカスしたい意識が強くなっていたのだという。
2020年の3月には親企業から独立し、二人で株式会社茶淹を創業して現在に至る。独立で改めて考えた自分たちの立ち位置と想い。その延長線上にはオリジナル湯呑み「CHAPTER」が生まれるなど、着々と[美濃加茂茶舗]のイメージを結実させている。
お話のつづきは後編の記事でご紹介させていただこう。
伊藤尚哉|Naoya Ito 株式会社茶淹代表取締役。2016年、名古屋の日本茶専門店・茶問屋に勤務。2018年、日本茶インストラクターの資格を取得。鑑定試験正答率100%という好成績と専門性が評価され、市部内最年少で日本茶インストラクター支部役員に就任。2019年[美濃加茂茶舗]を立ち上げ、店長に就任。2020年、株式会社茶淹を創業し現職。
松下沙彩|Saaya Matsushita 同取締役。2007年より広告代理店にて国内企業のコミュニケーションプランニングに従事。2019年フリーランスとなり、[美濃加茂茶舗]立ち上げ期よりプロジェクトマネージャーとして参画。同年、日本茶アドバイザーの資格取得。2020年、株式会社茶淹を共同創業。
Photo: Taro Oota (except photos of Higashishirakawa) Text & Edit: Yoshiki Tatezaki