• 札幌[お茶の土倉]から
    北海道カルチャー届ける
    「土熊」の物語
    <前編>

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    例年よりも早い桜の開花の知らせが各地から届いている。

    桜前線が北上するように、じきに九州地方からだんだんと新茶の知らせも上ってくる。桜の場合、沖縄から北海道まで桜の名所があるが、お茶の場合は栽培の北限があるとされている。大規模な茶産地としては埼玉の狭山、それよりも小さな規模でみると新潟の村上、茨城の奥久慈や猿島が北限とされている。秋田や青森でもお茶の栽培が行われているが、北に行けば行くほどお茶の生産は少なくなることは事実だ。

    いわんや北海道をや。お茶が作られないはずの北海道では、お茶の文化はどうなっているのだろう? 北海道に行ったことのない筆者にとってはまさに未知の世界だった。

    しかし、この3月に北海道に新しいお茶のブランドが生まれるという。北海道出身のブランディングディレクターで、ご自身もお茶が大好きな福田春美さんがプロデュースするという「土熊」と名付けられたお茶だ。「ぜひ北海道で土熊のお茶を飲んでみてほしい」とお招きいただき、一人札幌へと向かった——。

    土倉といえばお茶、お茶といえば土倉

    3月上旬、札幌の天気は良好だったが、道路の脇には雪かきされた雪が積まれていて空気も景色もまだ冬のそれであった。

    向かったのは、札幌の中心部から車で10分ほどの白石区菊水にある[お茶の土倉]。1964(昭和39)年の会社設立から今年で57年目を迎える老舗のお茶屋だ。始まりは土倉秀之さんと恵子さんご夫妻が1958年元旦に二人で立ち上げた「土倉商店」。札幌から夜行列車を乗り継いで静岡へ入りお茶を仕入れては札幌へ戻り、創業者自ら自転車でお茶を売ったのがスタートだという。釧路や根室といった道東へも行商を敢行し、次第にホクレン(農協組合)を通じた取引拡大を経て北海道を代表する企業に成長していった。

    道内での[土倉]の認知度は非常に高い。道民であれば(ほぼ)全ての人が知っているというのがこのCMソング。

    『♪だ・か・ら、つちくーらの、お茶に、決めてます』

    東京で育った筆者はわからなかったが、北海道出身の方には上の文字列がメロディーとして認識されていることだろう。むしろ、土倉が北海道以外では知られていないことに道民は驚くのだそう。

    北海道のお茶屋としてのアイデンティティ

    ナショナルブランド級の認知度で根付くお茶屋が北海道に存在する。しかし、この10年は会社にとって苦難の期間。「小売業界の構造変化や競合他社の参入によって、北海道の老舗茶屋としての姿を見失いそうになっていました」と語るのは[お茶の土倉]代表取締役社長を務める羽鳥雅春さんだ。

    2年前に社長に着任したという羽鳥さんは、会社内を隈なく案内してくれた。3階がオフィス、2階が工場になっている。

    現職で札幌に転勤するまでは、伊藤園本社で財務を担当していた羽鳥さん。2社は昔から縁があり、[土倉]の経営を支えるために伊藤園が出資、現在はグループ会社として運営している。[土倉]に来た羽鳥さんは、そのお茶商品を作る現場を見て驚いたのだという。

    「北海道で大きくやっている会社とはいえ、かなりの部分が手仕事なんですよ。経営の観点から見れば非効率だと言われてしまうようなこともあります。私も最初に来たときはそれをどうにかしなければいけないと思いました。でも、実はそれが良いのではないかと思うようになったんです。北海道の皆さまに美味しくて健康的なものをと堅実にやってきた、創業者の精神が詰まっているわけです。長年働いている社員が多く、みんな会社が大好きなんですよね」

    梱包や検品まで日々チームワークで行われている。お茶が商品として完成する現場は人の手によって支えられる
    創業期から[土倉]のお茶づくりを支えている佐々木憲一さん。今も[土倉]のお茶の味は茶師である佐々木さんが必ずチェックしている
    3階のオフィスフロアには営業チーム。いつも誰かしらが必ずお茶を淹れるのだそう。「一人で淹れて飲むんじゃあ」と自然と周りの同僚の分まで淹れるため、大きな急須が活躍する

    長年[お茶の土倉]を愛してくれる人たちの気持ちにいかに応えられるか。変化が求められる時代にあって、北海道における茶業のパイオニアである老舗茶屋としてのアイデンティティをどう伝えられるか。「私のこういう気持ちを色んな方に聞いていただいて、そうしたら福田さんが仲間をたくさん集めてくれて。『土熊』というブランドが生まれることになったんです」

    愛嬌のあるクマが運ぶ北海道のお茶

    創業者・土倉氏の精神が息づく[お茶の土倉]。その新ブランドのシンボルに採用されたのは、クマだった。

    「まず『土熊』っていう言葉がスタートだったんですよね。北海道のお茶ということで、北海道の象徴でもあるクマ。[土倉]さんは有名な会社なので、みんなに浸透しているその名前を活かすのはいいんじゃないかとすごく思っていました。そこから全部広げていくという感じでした」と話すのは、札幌を拠点にブランディング・デザインを手がける会社「エイプリル」のデザイナー・向井まどかさんだ。

    向井さんらのデザインチームと一緒に新ブランド制作にあたったのが[土倉]のギフト部門で働く伊藤理恵さん。仕上がったデザインを目の前に社内の反応をこう語った。

    「今まではよくあるお中元セットのようなものだけだったので、『うちの会社からこんなに素敵なものが出るんですか!』ってみんな感心しています」

    [お茶の土倉]の伊藤理恵さん(左)と、デザイナーの向井まどかさん(右)。できたばかりの「土熊」の3種類からまずは「とうきび」をいただきながら、2020年夏から本格化した制作過程を振り返っていただいた

    向井 札幌のイラストレーターの前田麦(ばく)さんにクマのイラストを色々描いていただいて、皆さんにお見せしたらそれも好評でした。もっと民芸品っぽいものや、創業者が売り歩いたというエピソードから行商グマみたなものもありましたが、『やっぱり愛嬌があるものがいいね』って。

    伊藤 言ってましたね。愛嬌があるっていう言葉が出た瞬間に『それ! それ!』って。打ち合わせの度の盛り上がって、話が尽きない感じでしたね。

    向井 土倉さんっていう会社の歴史とか、創業者の方の存在が根っこの部分で今も会社を支えているのかなって思いました。北海道中を巡って、いろんな人とコミュニケーションして、一緒にお茶を飲んでっていうことを、新しいものにも入れられたら、という考えがありました。それが、北海道を巡ってお茶を届けるという土倉さんの姿をクマに見立ててやったことに繋がったということですかね」

    伊藤 イメージ通りだなって思います。北海道の色んなところにいるクマが、初代っぽいなって。会ったことないんですけどね(笑)」

    創業者・土倉秀之さん

    「土熊」の3種類のハーブティーを飲みながら、お二人のお話は後編へと続きます。さらに後編では、北海道らしさが詰まった土熊のローンチイベントの模様もリポート。

    お茶の土倉|Tsuchikura Co., Ltd.
    1964(昭和33)年設立、札幌市白石区に本社を構えるお茶の製造会社。道内の飲食店やホテル客室など、気がつけば土倉のお茶、というほど深く根付いている。1970年代には林家三平さん、80年代には林家こぶ平(現在の林家正蔵)さんがテレビCMに出演するなど道内での知名度は抜群。2021年3月31日にハーブティーの新ブランド「土熊」をローンチする。
    tsuchikura.co.jp

    Photo: Takuya Kakimoto
    Text: Yoshiki Tatezaki
    Special Thanks to Harumi Fukuda & Kenichi Mearashi

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    札幌[お茶の土倉]から 北海道カルチャー届ける 「土熊」の物語 <後編>

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    2021.03.26 INTERVIEW日本茶、再発見

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