• 熊本[お茶の富澤。]富澤堅仁さんを訪ねて
    茶農家・お茶屋として自分がもっとできること<後編>

    SCROLL

    記事の前編はこちらRead Previous Page

    熊本[お茶の富澤。]富澤堅仁さんを訪ねて
    茶農家・お茶屋として自分がもっとできること<前編>

    こちらのインタビューの一部が音声(Spotify)でも公開中 ついに熊本へ、富澤さんとの再会 2020年1月、東京ミッドタウン日比谷で開催された「国産お茶フェス」で出会った熊本の茶農家・富澤堅仁(けんじ) さん。会場で振…

    2022.06.10 INTERVIEW茶のつくり手たち

    こちらのインタビューの一部が音声(Spotify)でも公開中

    「お茶には可能性しかない」
    「お茶屋には未来しかない」

    富澤堅仁さんの口から出てくるそうした言葉にハッとさせられる。茶業界に限らず、農業に限らず、丁寧に時間をかけて作られたものを売るという商売はどれほど大変だろうか。聞こえてくる情報から推し量るしかないけれど、大変じゃないわけがない。

    そんななかで、富澤さんのようにはっきりと、自然にむしろ爽やかに、ものづくりの未来を語る人に出会うのは刺激的だ。

    事実、[Greentea.Lab]の賑わいはお昼を過ぎてもつづいている。
    妻・知春さんをはじめ、スタッフたちが見事に立ち回っている。
    富澤さんが描いたお茶の場所に、着実に“人”がついてきていることを目撃した気がした。

    地震から6年、お茶の和を目指して

    [Greentea.Lab]を出てすぐの橋を渡って布田川沿いを歩けば、「お茶の富澤」と書かれた工場が右手に見えてくる。富澤さんのお茶づくりの現場を見せていただき、その力強さの源泉をもう少しのぞいてみたい。

    「布田川断層帯って、地震で出てきた断層帯がすぐ近くで、この辺は大きな被害を受けたんですよ」

    6年前の4月16日に起こった熊本地震後、益城エリアでお茶をつくるのは富澤さんただ一軒のみとなってしまった。もちろん富澤さんも被災していたが、新芽を伸ばす美しい茶畑を前にして「一人でもやるしかない」と覚悟を決めた。

    震災直後に富澤さんが感動した茶畑のエピソードは「お茶に救われ、お茶に夢中になった富澤堅仁さんのライフ<前編>」でお読みいただけます。

    「やっぱり地震が分岐点でしたね。他人のせいにしていた自分が変わった。自分一人で収穫も製茶も全部回して、これよりきついことあるのかってくらいきつかった。でもそれは誰のせいでもない、自分がやるしかないって」

    現在、製茶工場での主な作業は富澤さんが一手に担っている。

    新しい生葉を摘んできたら、ここで蒸し機にかけ、粗揉機・揉捻機・中揉機といった揉んで乾燥させるための複数の機械を通す。生産ラインはオートメーションではない少し旧式とのことで、機械間の移し替えなど手がかかるし、目が離せない。機械を回している間は休む間もなく動きつづけているのだそう。

    「うちはFA(ファクトリーオートメーション)のラインではないので、ひとつずつ手で“しとり”(茶葉の適度な乾燥・含水状態のこと)を確認しないといけない。一番忙しいときは24時間ぶっ通しで工場を回して、また朝から摘みに行って、摘んだら製茶っていう。それを完全に一人で回しているので体力的にもちろんしんどいですし……俺がつぶれたら終わりです!」

    中揉機に手を入れる。茶葉をこの機械の中で回している時には、こうして手で茶葉の状態を確かめながら、五感を使ってお茶を仕上げる

    爽やかに笑ってそう言いのけるけれど、自然が相手で、年季の入った機械たちが言うことを聞かないときもあるだろう。さっきいただいたお茶ができるまでに今年も大変な思いをしたに違いない。

    「地震のときに、ほんとに『生かされているな』って感じたんですよね。自分だけじゃなくて誰かのためにやるっていう方が強いんですよね。その方が頑張れたりするし」

    「茶を以て和を為す」という言葉は、[お茶の富澤。]の経営理念だ。

    家族、社員、地域、さまざまな人たちがお茶の延長線上にいると信じているから富澤さんは強い。

    「争い、ねたみ、ひがみがなくてみんなが笑い合っているさまを“和”って言うそうです。お茶でそれを伝えられたら絶対いいし、それを目指していこうと思っています。みんなで手をつないでやっていくことが大切だなと思います」

    新たな舞台、次なるチャレンジ

    つづいて茶畑に連れていってくれた富澤さん。一番茶として一度刈った後の枝からは、また新たな芽が伸びつつあった。いわゆる二番茶だ。

    「昔から『お茶は生葉のばけもの』ってよく言われてきました。一番頑張らなければならないのは畑の管理。育ってくる生葉をどれだけよくできるか」

    工場での製茶は100点の生葉をいかに100点の茶葉にできるか。もとが80点の生葉を100点の茶葉にすることはできないという。

    昨年から、その畑での栽培方法を大きく転換させた。農薬・化学肥料を一切やめて、全園有機栽培を始めた。そのわけは?

    「“舞台が変わるな”という気がしていまして。東京では若い人がたくさんお茶を飲んでいる。若いお茶屋さんも増えました。その変化は国内だけじゃなくて、海外の人にも同じように起きるはずだと思うんです。これからは海外に向けてお茶をつくることになる。そのときになぜ有機じゃないの?という問いは必ずくる。じゃあ有機で、なおかつこれが有機ですか?と言われるくらいおいしいものを作るというのが、今の俺のチャレンジです」

    (左)魚介が混ぜ込まれた有機肥料。今後は地域の畜産農家と協力して循環型の肥料づくりを進めていきたいと話す (右)大きく刈り落とした木の根元に有機肥料をまくのは今年新卒で入社したケントさん。「県で入賞するくらい足が速いんですよ。すごく真面目で頑張っているので助かっていますね」

    有機の畑は、虫や雑草など、生命力とのせめぎ合いだ。この暑くなる時期にひたすら雑草を抜くのは過酷な作業だし、害虫が増えないために益虫を飼い慣らすのには時間が必要だ。

    「人間と一緒で、よく噛んでよく食べられれば元気に育つ。循環する土ができれば、すごく強い植物が育つ」

    次なる舞台を見据えて、土壌を強くしている。地道で長い道のりに思えるが、富澤さんにはもっと大きな可能性が見えている。

    「世界が舞台ということになってくれば、お茶が足りない状況になっていきます。他の地域で作られているお茶をうちで買い取ることも必要になるかもしれないし、それができるようになりたい。今の市場は、お茶が安すぎて限界にきているという部分もあると思うんですよね。農家さんがこれだけ一年間頑張って管理して、製茶するときは寝るのも惜しまずに命削りながらつくったお茶が、叩いて買われていくのはしんどいなと思う。そういった農業だと後を継がせようと思えないですよね。自分たちもどうにかやっていますが、その中で誰かを支えられるようになれたらと思う。みんなと手をつなぎながら」

    厳しい声が届かないわけではない。「『富澤さんはそうやって言うけど、じゃあ、いつそうなるんですか!』と言われても答えられないんですよね……」と富澤さんは包み隠さない。

    「でもうちが少しでも大きくなれば、その船に乗れる人が増える。そこからつながりが広がっていくと思うんですよね。そのために自分は独立して成長していかないといけない」

    どうして、そこまで前を向けるんですか?
    最後に、あらためて直球をぶつけてみた。

    「なんですかね。いや、ただ楽しいからですよ! お茶に可能性を感じていますし、次から次にいろんな人が課題を投げかけてくれる。金稼ぐためだけに働くんじゃなくて、楽しいと思えることに時間を費やしているから。お茶が面白いと思ってやってるからでしょうね」

    富澤堅仁|Kenji Tomizawa
    熊本県上益城郡益城町で栽培・製茶・販売を行なう[お茶の富澤。]の4代目。震災後は地域に残る唯一の茶園となったが、意欲的な茶葉づくりで全国に熊本のお茶の魅力を発信している。人と人、食事とその空間、たくさんの何かを繋ぐ存在としてお茶を考え、お茶屋[Greentea.Lab(グリーンティーラボ)]も運営する。
    ochanotomizawa.co.jp
    instagram.com/greentea.lab (Greentea.LabのInstagram)

    Photo: Yutaro Yamaguchi
    Text: Yoshiki Tatezaki
    Support: Kenichi Kakuno and Keisuke Mizuno

    TOP PAGE