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2020.05.01

かぶく茶人・べったなさんが
表現したいお茶と
エモーション
<前編>

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お茶のバックボーンは役者

埼玉県入間市で育ったべったなさんにとってお茶はとても身近なものだった。

「茶畑もすぐありましたし、小学校の授業でも防霜ファンについて習ったり茶葉を使った調理実習があったり。お茶の博物館もありますからね」

しかし、だからと言ってお茶は特別なものだったわけではなく、「淹れて飲むような家でもなかった」のだそう。

「まず、役者を始めたのが大学1年、19歳のころからですね。2歳の時に両親が離婚して、長年会っていなかった親父がいたんですが、19歳のとき、ある日兄貴から手紙を渡されたんです。それが親父からのもので『元気ですか? 会いませんか』と書いてあった。しばらく迷っていたんですが、連絡して会うことになって。会った瞬間親父だとわかりましたね。色んな話をして、『親父』ってまた呼べるくらい打ち解けましたね。それで親父にも見てもらえることをしようと思ったんです。レスリングをやっていたので格闘家かなとか考えていたら、たまたま『不良映画のオーディション』という情報を見て。それに受かって、役者をやるようになったんです」

役者として学んだことのひとつは「感情」だという。役を演じるにあたっての感情の作り方はもちろん、演技を見た人の感情の動き(すなわち感動)に思いを巡らすこと。これは、現在のべったなさんの茶人としてのあり方に大きく影響しているという。

「最初は目立ちたいと思って始めた役者ですが、自分たちのパフォーマンスで元気がもらえると言ってくれるお客さんがいて、良い仕事ってそういうことだなと、そこで気付きました。それがエンターテインメントなんだなと。他にもお茶を淹れる方々がいますが、自分が違うのは役者としての時間があったからかなと思います」

感情の動きという視点で考えると、お茶の世界にも共通する考え方に気づくという。

「丿貫(へちかん、千利休と同時代の伝説的な茶人)という人が利休を茶会に招いておいて、来たところを落とし穴に落とす。利休は怒るんだけど、すかさず用意していたお風呂に入れてあげる。その後にお茶を出して、利休も『風呂上りの一杯は極上』と満足するという逸話があるんですが、お茶ってまさにそうだなと。前後の感情を意識するという役者で学んだことはお茶でも通用すると感じます」

父の死をきっかけに俳優事務所を離れると、憧れだったバックパッカーとしてモンゴルにモンゴル相撲をしに行ったり、ラーメン店や屋台居酒屋の店長など、エピソード満載の20代前半を送ると、知人の紹介でお茶屋で働くことになった。

「お茶が好きだからという理由で入らなかったのが、むしろ良かったのかもしれないと思っています。好きだと何でも楽しくて、もしかしたら表面しか見ずに勘違いしてたかもしれない。なにより(外から来た自分にお茶を)厳しく教えていただけたから、今があると思ってます 。人を感動させるためにお茶をやっているけれど、自分の出し方で(良くも悪くも)どちらにも振れるっていうことにあるとき気づかせていただいて。こわくなると同時に身が引き締まったのを覚えています 」

もっとお茶を信じろ

「ニューヨークに住んでいる日本人のラッパーの人に誘ってもらって、ニューヨークのレストランの日本茶メニューを手伝うことになりました。そこでの経験は大きいですね。リラックスする茎茶とか、ヘルシーで美容にも良さそうな玄米ほうじ茶、古くは家庭でつくられる文化があった釜炒り茶という3つのメニューを考えたんです。それを毎朝サンプルとしてビジネスマンたちに配って反応を聞くという実験をしていて。ある日、出勤前の女性がおすすめは何かを聞いてきて、僕は『仕事前にちょっとリラックスしたら?』って茎茶を出したんです。すると、『私はエネルギーがほしいのよ』ってすごく怒られてしまって。しまった〜って。相手に自分の考えだけで押し付けちゃったなってすごく落ち込みましたね」

べったなさんがニューヨークで撮った写真。道ゆく人々にお茶のサンプルをすすめていた。世界の最先端で頑張る人々をお茶で感動させたいと願っていたという

なかなか結果が出ないなか、自分の感情もネガティブになってしまっていた。

「働いているときもそれが表に出ちゃっていたんでしょうね。その誘ってくれた人に厨房に呼ばれて『勘違いするなよ。通用しないのはお茶じゃないぞ、お前自身だ。もっとお茶を信じろ』って言われて……。今でも思い出すと泣きそうになるくらい響きました」

追い詰められていた。そんな中、「さえみどり」という緑茶を自分で淹れた。日本茶の勉強をしていた始めの頃 、練習のために繰り返し繰り返し淹れたお茶だった 。初心を思い出すとともに、目が覚めるようだったという。

「そのお茶に勇気をもらいましたね。 テスト期間を経てお茶のメニューがお店にようやく並んで、最初のお客さんが日本人だったんです。ハワイに長年住んでいて日本に7年も帰っていないっていうお話を聞いた後で『どんなお茶がおすすめですか?』って聞かれて、自分は釜炒り茶を淹れたんです。昔は家庭に釜があってそこで茶葉を炒ってつくっていたという営みを感じる“ストーリーのお茶”だと捉えていたんですけど、それを飲んで一言、『懐かしい…』って言ってくれて。お茶の美味しさもあったと思うんですけど、味覚で楽しみながらも、心で味わっていたんじゃないかなと思うんです。記憶に残る一杯になってくれたと思ったし、自分の中でも答えが出た。やっぱり、感情だなと」

自分のスタイルに自信を得て日本に帰国。しかし、身ひとつで帰って、淹れるお茶が手元にない。そこで、べったなさんはお茶の産地を巡る旅に出たという……。後編につづく。

田邊瞭
埼玉県入間市出身。大学在学時より役者として活動。屋台居酒屋を経てお茶の世界に。ニューヨークのレストランでお茶のメニューをプロデュース。帰国後は各地のお茶の産地を巡りながら、アートと融合したイベントなど茶人として活動をしている。「a drop.」というブランドを立ち上げ、一滴から広がる波紋のように、多方面にお茶の魅力を響かせる。
www.instagram.com/be90.jp (Instagram)

Photo: Yuri Nanasaki
Text: Yoshiki Tatezaki

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