• 菓子屋ここのつで、
    味わうは “時間芸術”<前編>

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    「偏愛シリーズ 軽羹(かるかん)の巻」をいただく

    東京・台東区鳥越の下町を感じる住宅街。

    [菓子屋ここのつ]はこの閑静な街並みのなかで一際落ち着いた雰囲気を醸している。木造の建物の外装は黒く塗られており、戸の内側にかけられた白い布は一見暖簾に思えるが、あるいは外と内を隔てる結界をつくっているかのようだ。

    完全予約制で和菓子のコースがいただける茶寮を主宰するのは溝口実穂さん。毎月の茶寮では、旬の食材を5皿の和菓子に仕立て各皿に合うお茶と合わせるコースが用意されているが、この日は、溝口さんの愛してやまない食材ひとつにフォーカスを当てたコース料理をいただく「偏愛シリーズ」の一席だった。

    偏愛シリーズの第一弾である食材は「軽羹(かるかん)」。軽羹は、白くてふんわりとした見た目で、しっとりもっちりとした弾力に、ほんのりと甘さのある鹿児島の郷土菓子。

    「かるかん」と聞いて、首をひねる方も多いかもしれない。しかし、自身は埼玉出身ながら、溝口さんの軽羹への愛は深く、そして熱い。

    「今回軽羹にしたのは、やはり軽羹への “悔しさ” がありまして。昔、埼玉のデパートに明石屋さん(軽羹の元祖とされる鹿児島の老舗和菓子屋)が来るということで私も行ったんです。売り場の前に若い女性3人組がいたのですが、軽羹の読み方もわからないようだし、『こんな白いだけのが200円?』『それならチョコレートの方が』と言って買わずに去って行ったのです。私、その方たちの後を着いて行っちゃって。結局、地下の洋菓子売り場でマカロンを買われたのですね。やっぱり華やかなものがいいのか、とますます悔しさが溢れ出てきてしまい……。地味で素朴な菓子は無敵! 飽きない菓子とはこうでしょ!と思って生きてきた。この気持ちを多くの方にお伝えしたい。それでこのような会を開催するに至ったんです」

    壁紙には渋柿染の和紙が使われ、安藤雅信氏らの茶器や骨董の器がディスプレイされる無駄のない室内はまさしく静謐だが、飾ることのない自然体な溝口さんの話ぶりによって、心の芯から安心できる心地よさがある。蝋燭に火が灯され、人数分の茶器が並ぶ。流麗な所作で一杯目のお茶が淹れられた。発酵した感じの茶色いお茶だ。

    「これは鹿児島の紅茶になります。一煎目は茶葉がまだこれから起きようとしている状態ですね。『煎を重ねる』ことでさらに目を覚ましてきます」

    日本国内でつくられるいわゆる和紅茶が最初の一杯。国産紅茶は一般的に渋みが少なくマイルドな味わいで、ストレートでも楽しめるとされる。お湯の温度の違いによって、柔らかくなったり深くなったり、同じ茶葉でも気分や飲み方によって味を変えることができることを教えるように溝口さんが二煎目を注いでくれる。

    「ではみなさん、ちょうど蒸しあがりましたので、ここに蒸し立てを持ってきますね」

    白漆の大皿に載って登場した軽羹。切り分けられ、蒸したての温度と独特の弾力をもつ質感を手に感じながら口に運ぶ。もっちりしっとり、甘みはほのかでみずみずしさがあり美味しく飲み込める。軽羹は、長芋もしくは山芋、それに米粉、砂糖、水だけでつくられる。山芋は濃厚で重みがある仕上がりとなり、長芋は軽やかでみずみずしくなるのだそうだ。まだ暑さが残るこの日は、軽やかな長芋が使われた。軽羹と紅茶の相性も抜群であるし、さらには沖縄の生黒糖をつけて食べるのも感嘆もの。私たちはいとも簡単に軽羹に魅了され始めた。

    2杯目が入る。お茶は自分の杯から飲むだけではなく、一煎淹れた後の茶葉の香りも嗅がせてもらえる。1杯目とはまた違う発酵感のあるとても変わった香り。

    「これも鹿児島のもので、生プーアール茶です。『煎が強い』と言いますが、何煎も楽しむことができます。中国の素晴らしいものはもう20煎とか。厳しい寒さにもカンカンのお日様にも耐えるということが、力強いお茶の葉っぱを生みます。このお茶の方は極めて自然な栽培の仕方をしていて、そういう方が日本にもいることが嬉しいですし、そのことをこの茶寮でお伝えすることが私の仕事でもあるかなと思っています」

    プーアール茶は中国・雲南省が原産で、茶葉に微生物を植え付けて発酵させる後発酵茶(こうはっこうちゃ)と呼ばれるお茶。熟成香があり、長期保存がきくためヴィンテージワインのように楽しまれることもある。

    そして、溝口さんが次に運んできたのはショートケーキのような姿の一皿。

    岩手から送ってもらったという生クリームの軽やかな甘さと、岡山の「元気くん」というマスカット、そして軽羹。全く初めての組み合わせなのに、完璧に溶け合い、昔から好きだったような気すらする仕上がり。

    「白あんも少し挟んでおりまして。その豆感があって、つなぎ役にもなるので挟むように使っています。お菓子を食べた後だと濃いお茶の方が合うので、少し熱湯で。お菓子があってこその濃さですね」

    後を引く甘さで次の一口が欲しくなる軽羹ケーキ。濃い目のプーアール茶との行き来がクセになりそうだ。

    「では皆さん、次はスープです」

    泡立つスープに浮かぶ白い“身”、トッピングにはミョウガ。一瞬、白身魚と錯覚してしまうが、これももちろん軽羹。名付けて「浸し軽羹」。そしてこの冷製スープの正体はカリフラワー。セロリも香り、ミョウガと合う。あとはオリーブオイルと塩胡椒というシンプルさ。

    浸し軽羹に合わせるのは、釜炒り茶という不発酵の緑茶の一種。だが、烏龍茶のような半発酵茶にかなり近く、良い意味で微妙な味わいを持つ一杯。これを冷たいお茶でいただく。

    続いては「焼き軽羹」。ゴマを練りこんだ軽羹に餡が包まれている。大のバター好きという溝口さんが「たっぷり冷たいバターをつけて食べてほしい」とおすすめする。塩気とともにコクがあるバターが餡と抜群に合う。

    この軽羹と合わせたのは「梨ミルク」。砂糖を使わず、梨の甘みとみずみずしさ、そして牛乳の美味しさを十二分に味わえる。

    そして最後の軽羹は、少し色のある軽羹の上にカスタードクリーム、桃が載り、チーズを削って仕上げる一際美しい一皿。

    「最後の軽羹は、精製していないお砂糖を使いました。米粉はこれだけ熊本のものを使っています。弾力がびっくりするほど違くて面白いですよね」

    華やかさもあるし、マカロンにも絶対に負けていない。軽羹への愛は完全に私たちに届いていた。

    合わせたのはスパイシーなチャイ。牛乳の甘み以外は加えていないという。お菓子とお茶の幅の広さを表現しながらも、徹底して素材の味を大切にする姿勢は一貫している。

    溝口さんが生きてきた中で得てきたこと、現在進行形で感じていることが偽りなく表現されているから、独創的でありながらも親しみが感じられるお菓子とお茶になるのだと感じられる。こだわりという頑ななものというより、やはりこれは愛であって、誰も真似できない彼女だけの偏愛なのだ。

    そんな溝口実穂さんが、菓子屋ここのつを開くに至った経緯や彼女の考え方についてインタビューをさせてもらった。その模様は後編の記事で。


    菓子屋ここのつ
    店主・溝口実穂さんがつくる菓子のコースをいただく完全予約制の茶寮。季節の恵みや物語まで感じられるようなお菓子に魅了されるファンは多い。毎月の和菓子のコースに加え、料理家との共同茶寮、朝食会、溝口さんが愛する食材をフィーチャーする「偏愛シリーズ」など、様々な趣向を凝らした茶寮を催す。
    予約などについては全て下記ウェブサイトにて公開。
    kokonotsu-9.jugem.jp
    www.instagram.com/_____9__/ (Instagram)

    Photo: Norio Kidera
    Text: Yoshiki Tatezaki

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