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2020.06.02

江戸からつづく狭山の茶園
今年もお茶づくりは止まらない
奥富雅浩さん
<前編>

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「夏も近づく八十八夜」
『茶摘』として知られるこの歌の冒頭にある「八十八夜」とは、立春を1日目として88日目のこと。今年は5月1日がそれにあたる日だった。地域や品種によって最適な収穫タイミングに幅があるものの、一番茶の新芽が出揃いその年の茶摘みが始まる象徴の日である。

今年はといえば、全国に緊急事態宣言が出され、「ステイホーム」期間の真っ只中で迎えた新茶のシーズンだった。人間の生活様式が大きな変化を強いられる一方、植物たちは着実に成長を続け、季節は確実に移っていった。各地の生産者にとって、今年も特別な季節が訪れていた。

5月の終わり、埼玉県狭山で15代続く茶園「奥富園」を営む奥富雅浩さんのもとを訪ねることができた。「緑茶生産の経済的北限」と呼ばれる狭山茶の特徴や歴史から、お茶への尽きぬ情熱を聞かせていただいた。

味は狭山でとどめさす

埼玉県狭山は、静岡、京都に並ぶお茶の三大産地として知られている。“色は静岡、香りは宇治よ、味は狭山でとどめさす”ということわざもある。

奥富園15代目の奥富雅浩さんは、到着するなり新茶を淹れてくれ、狭山の歴史を教えてくれた。奥富さんのご先祖で奥富園の初代は1673年に亡くなった方だそうで、徳川家康が江戸幕府を開いたのが1603年だから、まさに江戸時代から続くお茶の家系。埼玉でのお茶の栽培はさらに遡れるといわれており、一説によれば平安〜鎌倉時代に密教仏教が日本に入ってきたころ、儀礼に使ったお茶の栽培が現在の川越やときがわ町の寺院で行われていたという。

園主の奥富雅浩さん。造作もなくお茶を煎れる姿がクールだった

「昔は紙が貴重で、帳簿なんかも道具の修繕のために使ってしまったようで、茶園としてやっていたという記録は残ってないんです。でも、高林謙三さんからお茶の機械を買った領収書なんかは残っているんですよ」と奥富さん。

高林謙三は、明治時代に製茶機械を発明した人物。現在使われている機械の機構にも高林が発明した技術がほぼそのまま受け継がれている。つまりお茶の現代史上の重要人物の一人だ。その高林は埼玉の出身。もともと川越で評判の医者だったのだそう。埼玉とお茶のつながりは確かに深い。

とてもわかりやすく表現すると、製茶は主に蒸して、揉みながら、乾燥させるという工程。
機械を使うものの、乾燥具合などは手の感覚で確認しなくてはならない

あらためて狭山茶の特徴を聞くと、「狭山ほどお茶の特徴を言うのに困るところもないんですよね」と笑いながらも次のように教えてくれた。

「山地ではなく丘陵地帯に起こってきた産地で、規模の大きい茶産地としては“経済的北限”といわれています。“自園自製自販”と呼ばれる茶園形態が多く、お茶屋さんごとにお茶の味や香りが違うのが大きな特徴です。だから狭山茶の特徴を一言でいうことは難しい。でも狭山茶の特徴としてよく言われるのが“狭山火入れ”と呼ばれる仕上げ方ですね」

狭山火入れとは、比較的高温で火入れをする狭山の特徴的な仕上げ方で、それにより独特の香ばしさと甘さが引き出される。気軽に淹れてもしっかりと「味」が出る狭山茶の所以だ。

火香ひかをどれくらいつけるか。それと、アミノ酸と糖分を加熱することで起こるメイラード反応によって香りと甘みをどれくらい出すか。それで味を決めていきます。季節によって仕上げ方を変えていきます」

こちらが乾燥機。下部の火炉で温められた熱風をあてる方式。他にも遠赤外線方式や焙煎ドラム式などがある

例えばこの日淹れていただいた新茶は弱めの火入れ。新芽の味わいと香りを大事にした仕上げ方で、新茶が全体的にあっさりするのはこういった傾向があるから。秋ごろは、より“こっくり”とコクのある濃厚な仕上げ方が多くなるという。

夢を見られない職業じゃないはず

今年の新茶づくりについて聞いてみた。新茶の収穫が始まると、茶農家さんは寝る間もなく生産に追われると聞くからだ。

「うちは『さえあかり』という早生品種があって、4月23日から手摘みで始めました。最盛期は朝まで作りますね。過去に一番ひどかったのは、次の日の朝11時まで作って、シャワー浴びてベッドに入ったら30分後に親父から『作るぞ』って。父が畑で葉を刈っている間、自分が工場を見ていないといけないので。“お茶時“にお茶屋さんは大体痩せます。今年は3kg痩せました」

家族で営む奥富園は、収穫作業でお手伝いの人手を借りるものの、製茶は園主である奥富さんがほぼ一人で行う。先代であるお父さんから奥富園を引き継いだのは2015年のこと。長男ということもあり、自然と継ぐ意識を持っていたという。

「他の職業はあまり考えなかったですね。でも実際に継いでみて、こんなに厳しい状況なんだと思わされました。とにかく単価が下がったということですよね。父の頃、問屋の荒茶卸で1キロ4000〜5000円で売れていたものが、今3000円で売れれば良い方で、場合によっては1000円を切るものも出ています。すごく良いお茶を作っていた方が突然辞めたりと、ショックなことも聞きます」

需要が減少するのと同時に供給過多が進み価格が下落。コストを削減しても採算が合わないということが起こっているという。なんとか継続できても自分の子には継がせないというのもリアルな話だそうだ。

「でも、こんなに夢を見られない職業じゃないはずなのにな、と思うんですよね。うちも大変ですけれども、面白いなと思うんです。お茶って。毎年必ず新しい発見があります。16年くらいお茶作っていますけど、まだこんなやり方があるんだとか、毎年出てくるんですよ。そのお茶の面白さ、美味しさ、良さっていうのは、飲んでくれる方に必ず伝わると思うし、伝わればもっとお茶を好きになって飲んでくれると思う。だから今お茶を辞めてしまうのはもったいないんじゃないかなとすごく思うんです」

ゆっくりと語られる奥富さんの言葉にハッとさせられる。

庭にはコウロ種と呼ばれる葉の大きな品種があり、こうした茶葉でも“遊び”感覚でお茶づくりの実験をしているという

裏の畑ではちょうど朝から抹茶用の一番茶の手摘みが行われているという。後編では、茶摘みの様子を見学して、奥富さんが「面白い」というお茶づくりについてさらに詳しく聞いてみよう。

奥富雅浩
1980年生まれ。埼玉県狭山市の茶園「奥富園」の15代目園主。手摘みによる高級煎茶から本格的な深蒸し煎茶のほか、イギリスのグレイト・テイスト・アワードで入賞した紅茶などを製造販売する。ジャパニーズティー・セレクション・パリ2019では煎茶部門で銀賞を獲得した。
instagram.com/okutomien (奥富園 Instagram)
facebook.com/OKUTOMIEN (奥富園 Facebook)

Photo: Yuri Nanasaki
Text: Yoshiki Tatezaki

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