MENU

2021.09.22

朝は来て、夜は明ける。
お茶と人と、
生きるということ
前田美沙さん<前編>

SCROLL

立ち込める霧。
雨が降りそうで降らない曇り空の下、しっとりと豊かな水分を含んだ碧色の木々に囲まれる。空気が澄んでいるせいか、爽やかな湿度に鳥や虫、花々も気持ちよさそうだ。

降り立ったのは長野県南端の天龍村。愛知県と静岡県の県境に位置するこの村は、面積の9割が森林で覆われている。100km北からの諏訪湖を源流とする天竜川は、この天龍村を通り抜け、言わずと知れたお茶の名産地、静岡県・天竜市へと続いている。

東京から車で5時間ほどかけて天龍村役場周辺に着く。そこからさらに山道を進んだ先に、中井侍という茶産地がある。「七まがり」という名の通り、左右にうねった道に沿って茶畑が並んでいた。眼下には天竜川を望む絶景の茶畑だが、高低差365m、平均斜度27度で日照時間が限られた育てやすいとは言い難い、まさに“秘境の茶園”。

農薬や化学肥料にほとんど頼らず、草むしりや整枝作業、お茶摘みまで手作業で行われる「中井侍銘茶」は浅蒸しの銘茶として知られる。村に住む11軒ほどの茶農家の平均年齢は80歳以上。今日お話を伺うのは、高齢化が進むこの地で、中井侍銘茶の生産・製茶・販売を行う、前田美沙さんだ。数年前、縁もゆかりもないこの地に移り住み、今は[ヨアケ茶園]という屋号を掲げて中井侍のお茶づくりの担い手となっている。

なぜ、この地を選んだのか。この土地の人々がお茶を育てる理由、それを受け継ぐ理由、そして[ヨアケ茶園]という自らの屋号に込められた想いを聞いた。

自然の一部として生きる感覚と共に

富山県出身。進学と共に長野県上田市に移住、卒業後は一般企業に就職し事務職に従事したが、肌に馴染まず離職。ちょうど二十歳になる前後はじめた農業が合っていると感じ、長野県内で高原野菜を作っていたが、異常気象による水害で打撃を受け、止むを得ず離れることに。その後沖縄に移住するなどしたが、長野の気候が合っていると感じたようでこの地へ戻った。天龍村との出会いは2018年。村の担い手不足を補うために役場が募集していた「地域おこし協力隊」として天龍村に移り住んだ。今年の7月末にはいったんその任期を終えたが、その後もこの地に残ることを決めた。

「山を見て、風が冷たくなってきたら夕立が来そうだなとか、感じたりします。ここにずっと住んでる人も、今年もだんだん色づいてきたなぁってよく山を眺めるんです。季節や天候の変化を肌で感じることができるんですよね。外に出て、カッパを着て働いていると、雨が降ってきても嫌だとは感じなくて、むしろ自分も自然の一部として生きている感じがして、それがとてもしっくりきたんだと思います」

今では中井侍銘茶を作る担い手として8軒ほどの茶農家さんの畑を手伝うが、お茶との出会いは偶然だったという。協力隊に志願したときには、実は茶園の存在すらも知らなかったという前田さんを導いたのは、中井侍でお茶をつくりつづけてきた農家さんたちとの出逢いだった。

「住民の方を訪ねたら『協力隊か、ちょっとお茶でも飲んで行け』って、すんなり受け入れてくれて色々とお話を聞かせてくれるんです。はじめは特別お茶に興味があるわけでもなかったんですが、こんな山奥にいながら、70歳や80歳を超えた人たちが今でも、どうしたら自分たちのつくったお茶で喜んでもらえるかをひたすら真剣に、熱心に考えている。そんな農家さんたちの話を聞いていたら、助けずにはいられなくなってしまって。ここに住む人たちはみんな自分の暮らしに満足していて、おおらかでとても人がいいんですよ。はじめはお手伝いくらいのつもりだったのが、斜面も危ないし無理しないでください、私やるんで、といった具合でいつの間にか多くの畑を任せてもらうことになってしまいました」

一年に一度だけの、お茶はお祭りとして

収穫するのは1年に1回、一番茶のみ。300年ほど前から在来のお茶の木が存在していたこの地で、「中井侍銘茶」という産業としてお茶づくりが始まったのは50年ほど前。“暴れ川”との異名を取るほど旺盛な天竜川を利用した林業の歴史は江戸時代まで遡ることができるが、中井侍には農業従事者が多いのだという。ただ、梅やこんにゃくなど、流行に左右されるようにさまざまな農産物をつくってきたが長続きせず、そんな中唯一残り続けたのがお茶づくりだった。今でも新茶の時期は、村全体がお祭りのように活気に溢れるのだそうだ。

それぞれの住居の脇に茶畑があり、各人が管理・摘採を行なって、共同工場である「中井侍製茶工場」で製茶される。摘んだお茶を生計の一部にする人から、親戚や友人に送る人、自分で飲む分を確保する人まで、お茶を摘む理由や規模はさまざま。前田さんが畑を手伝う大平邦芳さん・とくゑさん夫妻は、黎明期からお茶をつくりつづける人のひとり。今年のお茶は自信がなかったと遠慮がちだったのだが、前田さんの勧めもあって長野県の品評会に出品すると三等に選ばれた。少ない生産量だが、邦芳さんのお茶が飲みたいという根強いファンに配るうちに、自分で飲む分はほとんどなくなってしまったのだそう。

「子供の頃から在来種というのがあって、それをうちで摘んで飲んでたもんで(お茶づくりは身近だった)。今の「やぶきた」を植えてからは50年続いとるもんでな。ただ、後継者もおらんもんで、この先はどうなるかわからんけど、まぁ、こうやって前田さんが一生懸命、製茶をしたり管理をしてくれるもんで、兄弟に分けてやったりとか、売ってほしいって言う人がおるもんで、その人に買ってもらったりとかして、個人で売ってます。できたお茶をみんなが美味しい美味しいって喜んで飲んでくれるもんで、それを聞くとお茶やっとってよかったって思うけど、もう断るのに困るぐらい」

自分がつくったお茶を喜んでくれる人がいるから、という邦芳さんの純粋な言葉。今年は収量が少なかったこともあり、これまでに摘んだことのなかった遅れ芽(二番茶)を摘んだのだそう。そこではちょっとした失敗もあったそうだが、前田さんの成長を感じるエピソードでもあったのだそう。

「おばあと二人で遅れ芽を初めて摘んだんだけど、生葉で置く管理が悪かったもんで、ちょっと萎凋したみたいな感じになっちゃった。あ、いくらか発酵しかかったやつだと俺はすぐわかったけど、この人(前田さん)も一口飲んだだけで味がわかったもん。うん。『あ、このお茶は違う』ってね。すごいね。全然(お茶を)やったことなかった人が、天龍村に来てからお茶を覚えて、それで始めてくれたんだに。お茶工場はもちろんだけど、お茶畑の管理もしてくれるって言うもんで、安心はしてるんだ。ほんで、よそ行くなよって、言っておる」

まるで孫のようにすっかり馴染んで可愛がられているのと同時に、頼りにされていることが伝わってくる。無理することなく自然にそういった関係を築けるのが前田さんの魅力と感じる

「自分たちが楽しい、美味しいと思っていることが一番大切なんじゃないかと思います」と前田さんは言う。「そこに共感を覚える人が買ってくれる。邦芳さんの一番茶は早々に売れてしまったので、もうヘロヘロに疲れてまで遅れ芽を摘んで、ふらふらになりながらお二人で工場までお茶っ葉を運んできてくれて。繁忙期で、その日のうちに製茶できなかったんですが、それで少し発酵してしまって。加工している自分の責任なので、反省ですね…。お茶摘みは1年に1回のお祭り。みんなどれだけ歳を重ねても、『茶摘みだけはやりたい』と、おばあちゃんやおじいちゃんが、すごい速さで摘んでいくんです。機械摘みの農家さんは2軒ぐらいしかいないから、8割が手摘み。みんなで喋りながら働いて、休憩してお茶を飲んでわいわいする、お茶摘みをみんなが楽しみにしている。そんな5月の茶摘みの風景がとても好きなんですよね」

「お茶だけはたんと上がってな。他は何にもねぇが」ととくゑさんが淹れてくれたお茶は、とてもやさしく気取らない、ご夫妻の人柄が滲むような味わいだった。

「すごいところに住んでいると思ったらぁ? 住めば都なのよ」と笑う邦芳さん。生まれて間もない頃から、この景色とともに育つというのはどういった心地なのだろうか。手を伸ばせば山肌に触れられそうなほどの距離に青々とした森が広がっている。

邦芳さんのお茶とともに一旦小休止。後編につづきます。

前田美沙|Misa Maeda
1990年、富山県出身。長野や沖縄で農業に従事した後、2018年長野県下伊那郡天龍村の地域おこし協力隊として入村。長野県唯一の茶産地、中井侍のお茶づくりに魅せられ、協力隊としての任期を満了した今年8月以降も、[ヨアケ茶園]を旗揚げし、同地域のお茶づくりを支えている。不定期で出張茶店も行う。
instagram.com/nakaichamurai

Photo: Yu Inohara (TRON)
Text: Moe Nishiyama
Edit: Yoshiki Tatezaki

TOP PAGE