• 嬉野と八女を繋ぐ旅で出逢った残したい茶の景色
    <前編>佐賀県嬉野の不動山

    2022.07.08

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    今回の舞台は、佐賀県嬉野市。

    佐賀県の西側、温泉地としても有名なこの嬉野は、緩やかな山々が囲むのどかな土地だ。地域全体が山の中に抱かれ、山と村がゆるやかに繋がりあっている。新鮮な気持ちになるのは、はるばる移動してきた時間と距離がそう思わせているだけではないはず。

    本州の茶産地とはまた違う、九州の茶の景色を体感した。

    山の低いところにある農村では稲田が目立つ。棚田が山の傾斜を感じさせ、自然にそくした人工の曲線が美しい。山を登っていくと、棚田のように段々になった茶畑が姿を現す。山奥にぽつんと、ではなく、いわばオープンな風通しの良い茶畑に少し興奮する一行。

    畑の所々に大きな岩が残されていてワイルドな印象。きれいに刈られた茶の木の背後には山が広がり、壮観

    嬉野を案内してくれるのは、西九州茶農業協同組合連合会の下田智和さんと、佐賀県農業協同組合の池田聖吾さんのお二人。畑を見ながら地域の歴史を教えてくれた。

    下田 自分たちのじいちゃん世代のときだから、たぶん50年以上になると思うんですけど、この辺りは手で開墾したんだと思います。機械じゃなくて手で畑を作った。

    池田 そうですね。やぶきたが入ってきて、ちょうど50年くらい。ここは石が多くて。あの大きい岩とかはどうしようもなくて(残されている)。

    元々は、在来と呼ばれる土着の茶の木が育っていた土地に、やぶきたという品種を植え、茶畑として整えられた景色が今につづいているとのこと。

    嬉野のお茶の歴史はさらに古い。

    お茶の栽培とつくり方が中国からたらされたのは室町時代にまでさかのぼると言われている。中国(明の時代)から、持ち込まれた南京釜で炒ってつくられたことから嬉野は釜炒り茶発祥の地としても知られている。しかし、今では昔ながらの釜炒り茶をつくる工場は数軒ほどで、歴史的なお茶づくりとして保存する動きがある。

    下田 うちの実家は茶業をしているんですけど、父親が若い頃までは釜炒りしてたって言ってましたね。50年くらい前だと思います。現在は嬉野茶といえば「蒸製の玉緑茶」の方に変わってきています。

    炒るのではなく蒸す、現在の日本茶のスタンダードな製茶方法。ただその後の製茶工程で茶葉を細くよりあげる精揉という工程がないため、茶葉は勾玉状に仕上がる。玉緑茶を呼ばれるゆえんだ。ぐりっと回して勾玉状だから「ぐり茶」という愛称でも呼ばれている。

    中国から伝わった釜炒り茶からの流れを汲んだ玉緑茶という文化が残っているのが、この嬉野という土地だ。

    そんな嬉野の中でも、特に歴史を感じられるのが不動山(ふどうやま)だという。下田さんと池田さんの車についていくつか山を越えたどり着いた不動山の茶畑からは、山と田園の美しい景色が。中国から茶が伝わった地だとされる不動山。推定樹齢350年以上、国の天然記念物にも指定される「大茶樹」が今もこの地に息づいている。

    中央に丸く囲われているのが「嬉野の大茶樹」。高さは約4m、幅約12mとされる巨大な木

    推定で350年前の木ということは江戸時代から生きていることになるが、この大茶樹は嬉野茶の発展に貢献した吉村新兵衛がいた頃のものとされている。元は武家で、罪に問われ切腹とされたが父の戦功・親子三人の恭順・神文などにより一命を助けられ、その後は茶業に志を立て、今につづく嬉野茶の基礎を作った偉人だ。

    下田 吉村新兵衛さんという方がお茶の苗を広めていったそうです。新兵衛さん住んでいたのが不動山の上不動という場所。今も4月に新兵衛さん祭と言って、献茶祭があるんです。

    下田智和さん(左)と池田聖吾(右)さん。二人とも実家は茶業を営んでいる。釣りが趣味とのことで、長崎の大村湾などで釣れる鮮魚の話などもしてくれた

    お茶の歴史を肌で感じられる嬉野だが、生産量が減少しているのも事実だ。下田さん曰く、1999年頃をピークに生産量は下降傾向にあるという。ある程度規模を大きく機械化ができる生産者は継続することができるが、山の中にある茶畑では車のように乗って作業をする乗用機が入れないため、人の手に頼るしかない。

    「でもこういうところで、やっぱりいいお茶が採れるんですよね……」

    そうしみじみ話す下田さん。「朝の日があたって、夕方になれば陰地になる。元々この辺りのお茶は香気がいいと言われているのはそういうところがあると思うんですよね。本当はこういうところをもっと残したい、というのはあるんですけど、なかなか難しいところです」。

    効率化や集約化の過程では、手がかかることや労力が大きいことは無くなっていってしまう。それでも、少なくとも今、こうした景色が残されているのは関係する方々の努力があるからこそ。そしてそれは、やはりその土地のお茶が美味しくて価値あるものだと理解する人がいるからこそ。

    下田 やっぱり不動山のお茶を待っているというお茶屋さんがいくつもあります。古賀さんもそうです。昔から「不動山を」ということでお話をくださいますので。

    お茶が残るということは、そのままこの風景が残るということなんだと感じた。

    嬉野不動山の空気を吸いながら、嬉野茶の味をイメージする。雄大で深みがあって、それでいて気の流れよく穏やかさもある。

    おいしい嬉野茶を飲むには、お話に出た古賀さんを訪ねるといいそうだ。福岡県八女の[古賀茶業]へと場所を移し、この地のお茶をさらに体験する。後編につづきます。

    Photo: Yutaro Yamaguchi
    Text: Yoshiki Tatezaki

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    嬉野と八女を繋ぐ旅で出逢った残したい茶の景色
    <後編>福岡県八女[古賀茶業]の嬉野茶と八女茶

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    2022.07.15

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